第五十話
先生の墓参〜臨20系統の風景

山手線の内側には大きな墓地が三箇所あり、「東京三大霊園」として静かに佇んでいる。すなわち、青山、雑司ヶ谷(※)、谷中の三大霊園である。

現在「雑司が谷」は、地域としては「雑司が谷」、古くからの固有名詞としては「雑司ヶ谷」が用いられる傾向にある。

明治の時代に設立されたそれらの霊園は、現代に至っても公営墓地として運営されている。繁華街の近くや住宅地に大きな規模でお墓がある姿は、他の日本の都市ではあまり見られない、東京独特の光景と言えなくもない。海外でもアメリカのアーリントン墓地などがあるが、一般的では無いようだ。もちろん作られた当時は市域から見て郊外にあたっていたからで、今ではそれぞれの墓地もすぐ際まで住宅街が広がっていて、ある種独特の光景を作り出している。

いわゆる公営墓地としては歴史のある霊園となるので、そこにお墓を構える人々の中には名の知れた人達はもちろんのこと、キリスト教の伝道師や外国人など、神道、仏教に依らない埋葬も多い。今ではそれらの有名人の墓を追う案内なども出されていて、散策に訪れる人も少なくないようだ。

自身、雑司が谷に住むこともあって日常的に雑司ヶ谷霊園を通り抜けるが、やはり休日ともなればそれらしき人も見かけることも多い。ここに埋葬されている人と言えばまずは夏目漱石、そして小泉八雲、竹久夢二、島村抱月、永井荷風などの文化人の名が見えるが、ジョン万次郎や場所柄か東條英機(※)などの歴史的な人物の墓もある。東條以外は墓の案内にも場所が明記されていて、その所在を追えるようになっている。

※東條は、実際には海に散骨されたことになっているので、雑司ヶ谷霊園に遺骨があるわけではなく正確には東條家の墓がある。また歴史的な経緯もある人物であるため、霊園の方も表立ってその所在を知らしめるようなことはしていない。

私が初めてこの霊園を訪れたのは高校時代のことで、夏目漱石の墓を追って来た。雑司ヶ谷の電停を降りると、すぐ目の前が霊園の入り口。今と違ってまだ線路側まで住宅が広がり、非常に静かな場所だった。それまで東京と言えば賑やかな場所しか知らず、ましてや繁華街を離れて歩くことなど知らなかったから、自分の中で強い印象をこの霊園とそれを囲むこの地域に持つことになった、
それから時間が経って東京に住むことになった時に雑司が谷を選んだのは、山手線の内側でも古くからの住宅街であり、緑が残り、高い建物も少なく比較的に景色も開けているのがその理由だったが、結果的に高校時代の自分の感覚を追って来たこともある。おそらく、東京でありながら凡そ広く持たれる東京の印象と異なり、鄙びた地域であるその印象が自分の中に残っていたのだ。実際には池袋へ徒歩圏内であるが、近年に至るまで地下鉄の路線が限られていたこともあり、都電が通るものの何となく不便な場としての印象があるのだろう。

日本の多くの人にとって雑司ヶ谷霊園は、私に限らず実は触れることが多い場所ともなっている。おそらく国語の教科書に出てくる、そうでなくとも少しでも小説を読む方なら大抵触れるであろう夏目漱石の「こゝろ」で、印象的な風景として出てくるからだ。

主人公である「私」が興味を持つ「先生」は、月に一度、友人の墓参をするが、その時に訪れる墓が雑司ヶ谷霊園にあることが話に記されている。
「先生」の住居は小石川伝通院あたりの地域(本郷台から降って伝通院の方に上がったところで家を探した、とある)。そこから雑司が谷まで散歩がてら歩いても一時間はかからない。話の書かれた大正の時代であればなおのこと大した距離の感覚ではなかったろう。書かれた時代背景は明治の終わり。路面電車は大塚窪町(今のお茶の水女子大あたり)までは来ていたので、そこから霊園まで歩いたのかも知れない。実際にお茶から霊園までは歩いて30分ほど。雑司が谷が当時の街の外れと言っても、区域からはさほど遠く無いのである。

話の中ではそれなりのスペースを取ってこの霊園の描写が出てきて、今読み返しても楽しい。
もちろん100年以上前と今では、例えば茶店の位置など違うこともあるし、通りを挟んで楓が伸びるということは今は無いが、銀杏の風景だけはそのままだ。東京は何処に行っても欅と銀杏が幹を伸ばしているが、この霊園の銀杏も紅葉の時期になると美しい黄色の姿を見せる事になる。
東京の街中に高い木が無いのは空襲で滅茶苦茶にされたことに依るけれども、雑司が谷のあたりは奇跡的に焼け残ったので高木が残っている。一方、隣町の池袋は焼け野原になった – 45年3月の東京大空襲よりも落とされた爆弾の量が多かったと言われる同年4月の城北大空襲でだ。爆撃機から見ると池袋と雑司が谷の距離など無いに等しい近さであり、本当に紙一重だった。そのような経緯もあり、現代に至っても特にこの霊園では緑や紅葉が美しいので、お墓とは言えどエリアと合わせて散策をするには良い場所だと思う。霊園の景色として「こゝろ」の文中に「もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」とあるのは、オーバーな表現ではない。

明治に開かれたこの霊園が漱石に出てくるのは、彼が早稲田の人で身近だったということもあるだろう。後に彼がこの霊園に埋葬される所以の知識は持たないが、著名人が居住に近いこの霊園に眠るのは当たり前の流れだったのだろうとも思う。

秋の彼岸、天気にも恵まれ普段の休日よりも墓参に訪れる人は多いが、賑やかであるわけではなく、墓を清めて静かに手を合わせている。そんな静かな休日、改めてゆっくりと霊園を歩いてみたくなる。

ちなみに…二十代前半までくらいの若い頃、この「こゝろ」に出てくる「お嬢さん」が自分の理想だった。「私はこんな時に笑う女が嫌いでした」とか書かれる女性である。漱石に出てくる女性はどの人も個性と主張があって、読んでいて楽しい。

漱石居士の眠る地

漱石居士の眠る地

●臨20系統 担当:神明町車庫
池袋駅前~護国寺前~千石一丁目~上富士前~団子坂下~池ノ端二丁目~上野動物園前~上野広小路
池袋駅前を発着する定期路線は17系統が唯一ですが、ほぼ定期と言っても良いような系統として臨20系統がありました。護国寺から先は江戸川橋から来る20系統と合流し、そのまま上野界隈まで走りました。
上野動物園のパンダ舎が新しくなりましたが、こちらは以前の都電線路跡に建ちます。