第六十六話
革命家の中国食堂〜17系統の風景

多分10年くらい前だったと思うが、池袋駅西口から北にかけての繁華街が「中華街」との名称でポツリポツリと街の紹介に現れるようになった。それ以前はどちらかというと「危険な街」として称されていたけれど、その呼び名に代わって中華料理やエスニック食材のお店が集まる外国人街での案内が増えていったように思える。かねてよりエスニック食材店は存在したものの、確かに、日本人向けの中華料理ではなくて原形の、中国人向けのお店が増えてきているのは間違えないだろう。

以前から中国人の経営する食堂は多かったが、日本人も相手にするような雰囲気を持つお店たちだった。けれどここ10年くらいで出てきた店は、中国人に向けて商売をするお店であることが多く、店内に日本語が無いことも珍しくない。
北口すぐに出たビルは元々にあった食材店の上に、中国で見かけるようなフードコート、安食堂の空気感そのままのお店が入ってきたりしているし、併設して中国語の書店 – と言っても古本屋に近いが – もあったりする。別にわざと中国ローカルな雰囲気をマーケティングとして持ってきているわけではなくて、中国から来た人がそのまま意識もせずに彼の地で営業するごとく現地の空気感でお店を作ってしまったようなお店である。商売相手は中国人であり、日本人を相手にしたものではない。

街全体は日本人の場末繁華街の雰囲気だが、中国系の店が相当な勢いで進出しつつある。
情報サイトにも「新中華街」などと紹介されるようにもなってきた。が、横浜関内の中華街とは似ても似つかぬ雰囲気であり、どちらかというと歌舞伎町をとても小さくコンパクトにまとめたといった方が正しく、観光目当てで来るようなところではない。

「新珍味」はそんな街角の一角にある一軒の中国食堂である。

最近流行りの文字が妙に派手な中国食堂ではなく、どちらかというと街中華の外観。一品を食べに行くというより、チャーハンやニラレバ定食目的に入るような入り口である。カウンンターで食べる人は一人客の男性達。東京では女性が一人でチェーン店に入る姿を見かけるが、この店の雰囲気は女性が入ることを拒むような空気感だ。
その食堂スタイルはこの地に構える他の中国食堂とは明らかに違うが、中国人が創業した由緒ある店でもある。

創業者の名は史明。台湾では知らぬ人がいない革命家であり、打倒蔣介石を掲げ、台湾の独立に精神をかけた人物だ。

清朝滅亡の6年後に台湾で生まれた彼は、日本で学んだ後に大陸に渡って抗日運動に参加。中国共産党に幻滅して台湾に戻るも、渡ってきた蔣介石のやり方に反発。蔣の暗殺を企ててバレ、国を追われて日本に亡命した。その際に資金集めのために開いた店が、この「新珍味」である。

台湾独立を目指して日本で広範囲に組織を作り、池袋で中華鍋を振りながら打倒蔣政権に心血を注いだ。嘘か真か、店の上階では、爆薬の類を作っていたらしい。勿論台湾には堂々と行かれず、沖縄から尖閣諸島経由で漁船で台湾を行き来しながら、地下組織を支援していた。
蔣家支配が終わって民主政権になってからは表より台湾と日本を行き来し、次の世代の指導に当たっていたそうだ。その人生を通じて台湾の独立を訴え続け、彼の地域では名を轟かす存在だったが、2019年に100歳で生涯を終えた。

改めて店の前に立つが、なんという事はない中国食堂である。入り口そばの自動販売機の横では、パチンコ屋の呼び込みがタバコを吸いながら時間を潰していた。その活動を思うには、あまりにも雑然としており、闘争とは無縁の空気感が街を覆っている。中に入って何を食べようかと考えるが、このような店では餃子とビール、チャーハンが正しい。

出てくる料理は想像通りのもので、派手な意匠も盛り付けも一切ない。ひとくち口にするもなんてことのない味である。
けれども、その味の向こうにかつて国の独立に生涯をかけた人物がいた。そのように思うと、チャーハンの味も変わってくるような気がする。

革命家の意志と精神に敬意を表しながら、胃にかき込んだのである

信念の宿る中国食堂

信念の宿る中国食堂

●17系統 担当:大塚車庫
池袋駅前~大塚三丁目~文京区役所前~一ッ橋~日本銀行前~東京駅八重洲口~数寄屋橋
池袋から大塚台、後楽園脇、水道橋、日本橋川を外堀通りで沿って、銀座に向かう系統です。池袋を発着する唯一の定期系統でした。
池袋から文京区役所までは丸の内線も通りますが、今でも同じ区間を都バスが走るのは、東池袋、護国寺界隈から小石川界隈の需要があるため。朝のみ走る一ッ橋行は、私もかつて神田駿河台までの通勤に利用していました。
神田神保町を走る唯一の都バス系統ですが、終日走らせても十分に需要はあると思います。