第十七話
公会堂の演説~35系統の風景

日比谷公園の南側、内幸町の交差点に面した場所に日比谷公会堂はある。この見事な石造りの建物は、1929年の建築。空襲を生き残り、平成の今までその存在を示し続けている。
「内幸町の交差点に~」と書いたが、そちら側の玄関には「市政会館」のレリーフがある。東京の中心にあって「市政」を名乗るのは一見奇妙だが、建てられた時代は「東京市」でありその名残を現在まで引き継いでいるのだ。この会館の付属公会堂として日比谷公会堂は存在し続けてきた。

この建物、官庁やビジネス街の真ん中にそびえるその姿は、今では明らかに場違いな存在であるけれど、会館前の道をまっすぐ行くと潮見坂で、内幸町の交差点から坂方向を望むと国会議事堂を正面に見ることになる。その光景を見ると、日本の中枢に在って数多くの言論が唱えられてきたこの空間は、潮見坂を挟んで立つ財務省と外務省そして国会というこれまた存在感のある「体制側」の建物群とは対象的な「象徴」に見えてくる。
戦前はこの日比谷公園の西側、今の農林水産省や厚生労働省がある場所に海軍省があったのだが、この建物も見事な煉瓦造りの建物であったらしい。
近代的な建物がそびえる平成の霞ヶ関界隈が、明治から昭和の初期に設計され趣向に意をこらした建物の集合体であった頃、その街並みは現代の欧州各都市のそれと負けず劣らずであったのではないかと思う。そうして見ると現代ではポツンと立つこの公会堂も、その当時の名残としてとても存在感のあるものに見えてくる。

日比谷公会堂はそもそも多目的ホールとして使われた。今でも細々と利用されているようだが、長く東京随一のコンサートホールとしても存在したらしい。現代に於いて公会堂がニュースなどに出てくるのは政党の演説会とか。
公式ホームページを見てみると催し物がやっている日よりも「保守点検」の文字が多く並んでいるのが意味不明。使いたいという予約が無いのか、それとも本当に保守点検なのかは分からない。「非公開」の文字も並んでいるが、何か私的な会合で利用されているのかもしれない。

かつてはここで社会党の浅沼委員長が演説中に刺殺されたりしているが、その外観とも相まってかつて高揚した大衆運動や言論討論がこの公会堂に見えてくる。昭和の政治家の声や主張には陣営を問わず力と貫録があったが、それがいつからか、選挙という名の人気投票に勝ち抜くための声に変ってしまった。

平成の今、演説に誇りを持つべき政治家の言葉が軽くなっているし、そもそも政治家の価値自体も暴落しているが、左右陣営を問わず信念を持った政治家の残影をこの古びた公会堂に見たいと思うのは、単なる懐古趣味だけではない。

日比谷公会堂(市政会館)から国会方向を望む

日比谷公会堂(市政会館)から国会方向を望む

●35系統 担当:巣鴨車庫
巣鴨車庫前~千石一丁目~白山下~文京区役所前~水道橋~神保町~一ツ橋~神田橋~馬場先門~日比谷公園前~西新橋一丁目
白山通りを巣鴨から神田一ツ橋まで走り抜け、皇居の脇を通ってビジネス街に至ります。

Originally, written on June 30, 2010

投稿者:

Mr.Problem

しがない制作屋です。 活動範囲:Web Producer / Director / html全般 / CSS全般 / WordPress / ガンダム / ドラクエなど..。企業内のWeb担当として活動。神奈川の海沿い生まれ。京都、大阪、神戸と流れて、今は東京在住です。