第八十話
中央東線の少年〜13系統の風景

初めて一人旅をしたのは中学一年生の春休みだった。小学校高学年くらいになってから親に何度か頼み込んでいたが、当然ながら門前払いであり、小学生を一人で旅行に出す親が何処にいるのかと、そんなようなことでよくぶつかっていたと思う。
それが中学に入ってからは何か親の中で基準となるようなバーを超えたのか、遠出を許してもらえるようになった。最初は夏休みの家族旅行で出掛けた時に日中だけ自分一人の自由時間をもらうとかだったが、中一の春休みにとうとう3日程度なら行ってもいいということになった。

今であれば飛行機に乗って北海道あたりにと思うだろうが、流石にそんなことは思いつくこともなく、周遊券を使って鉄道で周れるところで計画を立てた。中学生になっても飛行機というものに乗ったことがなく、それまで旅行といえば必ず列車で移動する家だったから、鉄道しか発想になかったのである。

最初に考えついたのは東海道線東京口の少年の基本である「ブルートレイン」で、当時は九州まで選びたい放題の数の列車が走っていたが、流石に特急券と寝台券を買ってくれとは言えなかったし、何より3日の旅行では九州は遠すぎた。
時刻表と睨めっこした末、結局少年が決めた行き先は新宿から出発する信州方面だった。こちらなら何度も子供の頃から連れていかれているので、行く先への心理的な安心感も持てた。親も安心できたようだった。

我が家はなぜか甲州、信州への旅行が多かった。私の旅先での最初の写真は、河童橋で母に抱かれた赤ん坊の姿であるし、少年が満面の笑みを向けるのは清里だとか蓼科だとかそんなところで撮った写真の中ばかりだ。そちらの方に連れていかれることが多かったのは父が北アルプスとか八ヶ岳を主戦場として登山をしていたからであり、両親の新婚旅行も信州だったとかいうから、家族旅行と言ったらそちらの方に行くしかなかったのかも知れぬ。
そんなだから、初めての一人旅で松本の方に向かうのは至極当然とも言えることで、なんてことはない、中学生の自分にもまた親にとっても土地勘のあるところに向かっただけの結論であったのである。

そんなわけなので、私と新宿駅の縁は深い。後年、東京に出てきた時、通勤の駅も新宿駅となったが、その存在は単なる生活の駅としてだけではない。幼少の時から遠方でありながら身近な土地とつながる駅であり、同じく見知った土地へのターミナルである東京駅とは違う性格の存在として私の中に位置する駅である。

新宿駅は世界一乗降客が多い駅で、中央線や山手線から小田急などの私鉄、地下鉄などからとにかく人がひっきりなしに吐き出される場所だが、東京とはかけ離れた随一の独特の空気 – 山の清涼なイメージを連れてくる駅でもある。いうまでもなく中央東線の長距離列車が始終着するためで、松本、信濃大町、南小谷などの行先をホームの案内に聞けば、自然と心が浮かれてくる。この感覚は歳を重ねた今でも一切変わらない。
一大ターミナルとして様々な路線が発着するが、その中でも中央線とは不思議な路線で、「中央線」と聞けば人は荷物かと感じるくらいの満員列車のイメージでゲンナリするが、「中央本線」とか「中央東線」といえば頭に浮かぶのは「山」であって、長距離ホームに立てば途端に気分が晴れわたってくる。同じ西に向かう「中央線」のホームだが、利用する番線によって疲れもすれば心も高揚してくるし、これほどの全く異なる顔を持つ路線をこの国では他に知らない。

5月の終わり、梅雨を目の前にした金曜の夕刻、新宿駅の特急ホームに足を向けた。トレッキングの練習を兼ねたハイキングで上高地に向かうために、もう何度目となるかわからないくらいの特急「あずさ」の客となった。向かいの中央線ホームからは、帰宅する人を満載した銀とオレンジ色の電車が次々と出発していった。特急が出発する長距離ホームもスーツを着たビジネス客でいっぱいだったが、その中に少なくない人達が山登り用のバックパックを背負って乗車を待っていた。この時間だと当日に山に入ることはないから、南アルプスや八ヶ岳、北アルプスを狙う人達が甲府、茅野、松本あたりまで行き、一泊して明日の朝にでも登山口に向かうのだろう。
無事に出発した特急列車の車内でまず行うことは、ビールの缶を開けることである。一口を含んで喉を潤した後、新幹線でもやるように夕飯がわりである崎陽軒の15個入りの封を開いた。新宿発でどうして横浜の食べ物なのか?そんなことは指摘してはいけない。こればかりは身に染みついた習慣だから仕方がない。乗り慣れた列車で食べ慣れたものを食べることはホッと一息つくルールのように思う。これから向かうのも遠方の見慣れた場所だ。この時間、色々な慣れからくる安心感が私を囲んでいるのである。至福以外の何物でもない。
混雑した長距離列車の車内で食事の匂いに文句を言うような風潮があるらしいが、嫌な世の中になったもんだと何となしに思った。思えば最初の旅行で乗車した新宿始発の普通列車は山に行く人たちでいっぱいで、車内は酒臭かった。数十年経った今でも記憶にあるくらいだから、少年にとってはインパクトは強かったのだろうと思うけど、それがまた遠くへ連れていってくれる車内の空気のような気がした。それでも不思議と、どんなに酔っ払っていても夜行の車中で眠り込んでいても、目的地の駅ではきっちりと目を覚まして静かに車内を整理して降りていった。なるほど、山登りの人たちとはそういうものか、と、身を持って感じることとなった。

終着の松本へは、最初の一人旅とは比べ物にならない速さ – 2時間40分ほどで着いた。列車を降りるといつも聞く、この駅の到着客をもてなすアナウンスは、昔から変わらない「まつもとぉ〜まつもとぉ〜」という長閑な呼びかけである。松本駅に着くのも何度目だろうと思いながらも、ここまで列車で来るのは久しぶりのような気もした。ああそうか、近頃は車で来るようになってしまったからか、と自らの行動の変化を少し笑ってみた。同時に、段々と気分を盛り上げ、この地に立つ時の高揚感は、列車で来る方があるものだ、と改めて感じた。恐らく、途中の停車駅 - 八王子、甲府、小淵沢、茅野、上諏訪などの駅名が、自分を山に近づかせているのだと、無意識に意識させるのだろう。車だって同じようなところを通り抜けてくるが、運転への集中から走ることに意識が向いていて、出発地と下車インターチェンジという、点と点を結ぶ線を移動する物体の操縦者とでしか自身を認識できないのだ。気分を高めるのには自ら運転して余計な緊張のままに信州まで来てはいけない。そもそも昔から気分を盛り上げるために来ていた土地ではないか。
夜も更けているが、駅前の光はまだ明るかった。食事に迷ったものの、列車でのビールとシウマイがまあまあ腹を満たしていた。明日の朝は早い。お腹を更に膨らませて、体を更に疲れさせることもない。上高地の慣れた景色が自分を待っているのだ。そう思い直して真っ直ぐに、ここも何度目とかになる駅前のホテルに向かった。

山へ向かう新宿駅特急ホーム

山へ向かう新宿駅特急ホーム

●13系統 担当:大久保車庫
新宿駅前〜抜弁天〜牛込柳町〜飯田橋〜お茶の水〜万世橋〜岩本町〜水天宮前
新宿から牛込台地、神田川沿い、秋葉原を経由して日本橋地区に至る東西を結ぶ路線です。