第三十四話
荒川の風~26系統の風景

総武線で浅草橋を出て両国に至る手前で隅田川を渡る時のホッとする感覚と「別の街」に行くという感覚は、急に景色が開ける安心感であると共に、川が地域を分ける境界線だということを無意識に感じている印なのかもしれない。それでも隅田川は市中の「大川」であるけれど、更に東、平井の向こうで荒川を渡るのは、蒲田を過ぎて多摩川を渡るのと同じ。東京という「現住地」と別の土地の境界線という感覚である。

実際には荒川の向こうも江戸川区で23区の内。千葉県との実際の境は江戸川。
要は自分の感覚の世界の話である。

当ブログで以前書いた神田川に架かる淀橋と同じ。淀橋は新宿を過ぎてすぐだけれど、そこから先は武蔵野なのだ。我が家からは余程淀橋の方が近いが、あくまで「感覚の内にある東京」の話。
淀橋の神田川と荒川は自分の中で同義。北に向かう時に赤羽の先にある荒川は埼玉との境なので、その意識が東京湾までつながっているのだろう。実際江北の足立区も同じ話であり、京葉の江戸川区に他意は無い。勿論変な差別感を持つものでもなく、荒川に対する感覚の話である。

この立派な荒川も江戸川区辺りは、というより北の隅田川分岐から南は人工のもので、大正から昭和にかけて掘削された。元の荒川と言えばそれは隅田川のこと。隅田川の氾濫に手を焼いた国が巨大公共事業で人工的に作ったのが今の荒川である。私が子供の頃に見ていた地図では「荒川放水路」と書いてあった。
隅田川最古の橋は日光街道に架かる千住大橋で家康江戸入府の前に架けられた歴史ある橋だが、その当時は勿論明治を通しても隅田川のすぐ北にはあのような「大河」は無かった。隅田川の外側の川は中川、その向こうの江戸川だったのが、国によって「新」荒川が掘削されたことで城東地域が隅田川の氾濫から一応は開放された。それでも今度は中川に悩まされることが続いたということで、荒川のすぐ外側に中川放水路が昭和30年代に掘られ、ここに今の河川網が見られるようになったのだ。

京葉道路の新小松川橋は堂々たる橋で、ここから見る風景は360度開けている。西に目を向ければ東京スカイツリーがとてもよく目立つ。荒川は水を満々に貯めておりこれがとても人造の川とは思えなくらいの立派な流れで、この幅広の川を吹き抜ける風は都区内中心とは別のものである。

街中の雑踏を見慣れた目には、この風景はとても気持ちがいい。それは単に目に映る風景だけでなく持ってくる風にも依る感覚だろう。それは私が長く渡り続けた大阪に於ける淀川の風景と同じようなものだからそのように感じるのかもしれない。

東京の密集地域に生活する身にあって、いっぱいの水をたたえた荒川の風景と吹き抜ける風は、関西時代の淀川を思い起こさせる懐かしいものなのかもしれぬ。

荒川~京葉道路から望む吹き抜ける風景

荒川~京葉道路から望む吹き抜ける風景

●26系統 担当:東荒川車庫
東荒川~一ノ江~今井橋
荒川の東部を走った電車。元は江東地区に於ける都電の前身である城東電軌によって引かれた路線です。東荒川の電停の対岸には25系統の西荒川電停があり、本来はこの間に橋がつながる予定だったものと思われます、戦後すぐの昭和20年代に廃止されてしまいました。30年代の全盛期には欠番となってしまった系統です。

Originally, written on October 23, 2010