東京に来て最初に住んだのは豊島区雑司が谷の明治通りに近いマンションだった。副都心線が通って雑司が谷駅ができ、便利になりつつあるところだったが、家賃はそれでも今と比べるとまだまだ低く、明治通りのバイパス工事もまだ始まっていなくて、昔ながらの低い住宅街の風景が残っていた。今でも山手線内側の他の地域に比べたら、細い道に沿って住宅が建つなど圧倒的にのんびりしているとも言えるが、東池袋の方ではバイパス工事が進んで街が整理され、日出小学校の後に区役所の高層ビルが建ったり高層マンションの建築が始まるなど、「雑司が谷」の町名の周囲は確実に変わりつつある。
その中でも変わらずに残るのが雑司が谷鬼子母神。以前この場でも書いた通り、江戸時代に始まる東京で一番古い駄菓子屋が残るなど、歴史を今につなげると共に地域の拠り所として静かに佇んでいる。
落ち着いた雑司が谷鬼子母神が賑やかになるのは、夏から秋にかけての「朝顔市」「盆踊り」「御会式」と七五三の時期である。前の三つは境内に大々的に縁日の屋台が出て、ぞどこから現れるのかと思うくらいに人で溢れる地域のお祭りである。七五三が賑わうのは鬼子母神が子育ての神様であるからで、域内はもちろん域外からも訪れるらしい着飾った家族達でカメラをパチパチやっているのが見られる。子供たちの着物姿が境内の銀杏に映える光景は、美しい。
朝顔市は東京らしい市ではあるけれど、実質的には夏祭り。続いて行われる盆踊りは、毎年盛り上がるなあと観ているが、これだけ人を集める盆踊りもなかなか無いらしい。以前から学習院や立教、日本女子大あたりの留学生が浴衣を着て踊ってはいたが、ここ数年は明らかに外国人観光客の姿が増えた。まあ日本らしい風景の筆頭とも言えるお祭りだから、見よう見まねで東京音頭とかを一緒になって踊っていても、さぞかし楽しいことだろうと思う。
が、それらの上をいくお祭りが、秋の「御会式」である。
鬼子母神は、正式には法明寺鬼子母神堂。宗派は日蓮宗。この秋祭りが、毎年10月16日〜18日に行われ、期間中は夏祭りと同様に縁日が鬼子母神に出るが、御会式の出店が最も多い。ご時世か最近は無くなってしまったが、東京名物飴細工のお店も以前は出ていて人を集めていた。
この御会式の最終日に行われるのが日蓮宗の宗徒による「万灯練供養」で、こちらが始まると祭りの最高潮となる。
万灯練供養とは、万灯と呼ばれる大きなぼんぼりを掲げる宗徒の行進。その練り歩きは池袋駅東口をスタートして始まり、明治通りから目白通り、鬼子母神表参道を通って鬼子母神まで大行列が進むが、雑司が谷や池袋の檀家連だけでなく東京各地から宗徒の集団が集まって、笛を吹き団扇太鼓を打ち鳴らしながら、万灯やまといを掲げ、山車を弾きながら踊り歩く姿は迫力がある。自分が雑司が谷に住んで最初に驚いたのがこの集団行列。日蓮宗が団扇太鼓を打ち鳴らすのは知っていたけれど、大繁華街から大通りの一車線を潰して行う大音量の行列は、迫力ある宗教行事のそれである。明治通りの車や遠くに行く高速バスの乗客も不思議そうに行列を見ている。
ただ、行列の最初はいつも立正佼成会だが、実際は宗徒でなくとも参加ができて、雑司が谷や南池袋では町内で練り歩きの参加者を募集している。今年は先頭を切って豊島区の区長も歩いていたけれど、一方では近所の見知った子供たちも行列に参加しており、我が家の子供が通う小学校では無形文化財との位置付けでこの万灯練供養を教えていたりもする。区域一番の歴史あるお祭りということでか亡くなった前の区長は「立場上お金は出せないのは勘弁してほしいですが」とか言いながらも毎年顔を見せていたし、仏教の行事とは言いながらも一部の集団では西洋人の観光客らしき人々も太鼓を叩いていたので、実態はまあ結構いい加減だったりするのだ。鬼子母神は地域の象徴でもあるのでそこでやることにうるさく言うものでもなく、良く言えば懐が深いというべきか。
このお祭りが終わると一気に秋が深まる。直に七五三の少年少女が顔を見せるようになると、境内の銀杏が見事に黄色に染まるのである。
明治通りを進む万灯練供養
●32系統 担当:荒川車庫
荒川車庫前~王子駅前~飛鳥山~庚申塚~大塚駅前~東池袋四丁目~鬼子母神前~早稲田
今に残る都電荒川線の西側です。私が居を構えてから、高いマンションや道路の拡張工事など沿線の風景は変わりつつありますが、東京の他の地域と比べてまだのんびりとしているのは、この都電の存在があるからかもしれません。