第三十一話
軍神の神社~33系統の風景

神社とは日本固有の神様を祭るのが基本だけれど、東京には実在の人物を祭った神社がいくつかある。一番大きな所では明治神宮で明治天皇と昭憲皇太后を祭っているし、靖国神社も是非は別として戦没者を神様として祭っているところだ。また時代の意向で軍人を祭った神社もあるが、その一つが東郷元帥の東郷神社であり、乃木大将の乃木神社。それぞれの死後、祭神として神社が建立された。

乃木坂駅を出た辺りは閑静な地域だ。東に行くと赤坂、西は青山陸橋に至り、北は青山通りへ伸びていて、南は六本木交差点。賑やかな六本木界隈から10分程歩けばこのような落ち着いた地域となる。いや、その向こうに麻布の住宅街を見るとすれば、六本木が東西に延びた六本木通りにへばりつくような細く土地の限定された繁華街であるということか。六本木通りの北側には東京ミッドタウンがそびえ、綺麗なショッピング街や高層オフィスビルがあって人の集まる地域となっている。今でこそお洒落な地域となっているが、この辺りは外苑東通りに沿って戦前は陸軍の歩兵連隊が駐屯していたところ。二・二六事件で決起した部隊はここにあって出撃した。戦後になってそこに米軍が入り、次いで防衛庁が入った。歴史的に軍隊に関係の深い地域でもある。

陸軍大将乃木希典はこの閑静な地区に居を構えた。乃木神社の脇に彼の住居が保存されており、建物の中には入れないながらも庭から見学することは出来る。

日露戦争の旅順陥落と水師営での敵将ステッセルの降伏は乃木を軍神に祭り上げた。その指揮官としての力や戦闘の実態はどうであれ旅順の一戦が彼を英雄にしたが、生活の方は質朴であったようで、派手な屋敷に住みたがる明治の軍人がいる中で、ある意味昔の武人を頑なまでに貫いたようだ。

彼は爵位的には伯爵であり、このクラスだと明治の頃は石造りの邸宅に住むことも多いが、彼の家は木造のこじんまりとした建物である。フランス留学時代に見聞した軍の官舎を似せて建てたようで、派手さは全くない。
日露戦争後に学習院の院長も長く務めるが、現在も残っている院内で起居した建物も質素な家屋で、今で言う「名士」の住む家とは程遠い。
このような「英雄」でありながらも質実主義にあったことが、日露戦争の勝利と合わせて彼をただの将軍にしておくことを許さず、死後乃木の忠誠心に感銘を受けた集団が中央乃木会という顕彰組織を作って乃木旧邸の脇に乃木神社を建てた。

乃木神社は閑静な緑の中にあるこじんまりとした神社だ。乃木を祭っているので彼を称える案内はあるものの靖国神社と違って戦争が全面に出ている訳でもなく、普通の落ち着いた空間として参拝出来る。私は乃木を崇敬している訳ではないが、静かな空間なので六本木辺りで人に疲れると足を向けることも多い。

明治天皇死去に伴う乃木と夫人の殉死はこの家であった。今でもその部屋は綺麗に保存されている。

都心の閑静な神社

都心の閑静な神社

●33系統 担当:広尾車庫
四谷三丁目~信濃町~北青山一丁目~六本木~飯倉一丁目~神谷町~浜松町一丁目
外苑東通りをひた走る、麻布の住宅街や東京タワーと六本木、青山を結ぶ系統です。始発着点が中途半端な位置にありますが、旧麻布区と赤坂区、四谷区の地域を南北に走るので区間利用者が多かったかもしれません。

Originally, written on October 02, 2010