第三十話
人世横丁の酒~17系統の風景

池袋駅は一日200万人以上が利用する大ターミナル。東西南北から鉄道路線が入り乱れ、またこの駅をターミナルとするバスも渋谷、練馬、春日、浅草、西新井方面とあらゆる方向に足を延ばしている。

山手線の内側に位置する東口界隈は、渋谷辺りとは違った若者の風景だ。東口五差路を中心とする繁華街の年齢層は低い。渋谷や神宮前辺りと比べると洒落た感じは無く何処となく野暮ったいが、それでも一日を買い物と食事で遊ぶには十分なのだろう。東上線や西武沿線の人達に取ってはわざわざ乗り換えて別の街に行く必要は無いということか。

東口繁華街のメインストリートの一つであるサンシャイン60通りの南側は、急に雰囲気が妖しくなって、古いビルや店も目立つ。この辺り一帯は、戦後バラックや闇市が密集した地区。そもそも池袋という街は他の繁華街と比べて東京でも比較的新しい街であって、戦前から線路は集まっていたものの、明治期から東京を走り始めた路面電車が池袋駅に到達したのは相当に遅い昭和14年。地下鉄こそ昭和29年に来たが、周辺には雑司が谷墓地や巣鴨プリズン(東京拘置所)が構える外れも外れである。巣鴨プリズンはその後サンシャイン60を中心とするサンシャインシティとなったが、その隣の東池袋界隈から大塚や雑司が谷に至る地域は昭和そのままの古い住宅街が広がっており、塀の上に猫でも寝てればレトロ感満載な場面が残る地域なのだ。若者の街である池袋東口はよくよく覗いてみれば、狭い地域の繁華街であることが分かる。

そんな元闇市街の一角には古いスナックや酒場がそのまま営業している横丁がある。その中でも知られた存在が人世横丁だった。

「人生」ではない。「人世」である。
豊島岡女子学園の西側の一角。敗戦後の闇市に飲み屋が集まり、ここに飲み屋街が出来た。今風に言えばレトロ感満載の横丁だったが、この手の通りは時代も場所柄も綺麗事だけでは済まさない。古い木造長屋が続くような通りで、一階はカウンターの酒場であるが、二階では客を取るようなその手の店もあったらしい。闇市上がりの街も東京オリンピックを目の前にして区画整理がされていったが、街の雰囲気そのものが変わる訳ではない。最後は古い雰囲気がそれなりに人気の通りだったようだが、2008年に周辺の再開発に伴い営業を廃し、建物は全て取り壊された。今はビルの開発予定地区となっている。

私が東京に居を構えたのは2009年の2月なので人世横丁の閉鎖には間に合わなかったが、東京に来る前に訪れたことがある。上京した折、その当時川越に住んでいた友人と池袋で集合し、この横丁で飲んだ。その時はこの地域の歴史も知らず何でこんな古臭い所に連れてくるのかと思ったのを覚えている。おばあさんが一人で切り盛りしており、勿論今風の居酒屋が出すメニューではなく、昔ながらの煮物とかを酒の当てに出すような店だった。勿論今はその店は無い。

人世横丁は無くなってしまったが、雰囲気を共にする通りはまだ僅かながらに残っている。その一つの「美久仁小路」は、閉鎖された店も目立つものの、常連でいつもいっぱいのような元気な店もある。

その賑わいはすぐそばのサンシャイン60通りとは異質の、およそ昭和がそのまま続いているような街角であるが、街には存外にこのような隠れた横丁も必要なのかもしれない。他には新宿の思い出横丁や渋谷ののんべい横丁とか。決してグループで入っていくような通りではないが、一人二人の静かな酒はこのようなだらりと過ごすような通りでもいいのかなと思うような歳になってきた。

美久仁小路とサンシャイン60

美久仁小路とサンシャイン60

●17系統 担当:大塚車庫
池袋駅前~大塚三丁目~伝通院前~文京区役所前~神保町~神田橋~鎌倉河岸~呉服橋~東京駅八重洲口~数寄屋橋
池袋と銀座を結びます。池袋駅前を終日発着する唯一の定期番号系統で、今も一ツ橋までの同じ区間を都バス都02乙系統が走っています。
往時、池袋駅前には他にトロリーバスの路線が3本集まっていました。

Originally, written on September 25, 2010