東京に居を構えて最初に観光で巡った場所は浅草だった。
銀座線で浅草駅を降りると目の前は「神谷バー」。浅草一丁目一番地。バーと言ったって半分は洋食屋じゃないかと思うのは「野暮ってもんよ」。デンキブランで有名な歴史ある浅草の看板的お店である。で、雷門を抜けて仲見世、浅草寺から花やしき、六区と、テレビや雑誌で見ながらも今まで訪れることのなかったこの地域を歩く事は、東京での第一歩として田舎人根性が働いたことによる。言ってみれば東京観光に来る外国人が雷門を見に行くのと、感覚は近かったのかもしれない。
浅草の風景は東京の代表的な風景として捉えられてきた。東京の中で「日本的なもの」を体現する空間として手っ取り早いのかどうだかわからないが、東京タワーや銀座四丁目とは別の意味で、東京を表す場として雷門の提灯は東京を意識させるにぴったりの存在だと思う。
例えば「京都に三代住めば初めて京都人」などと言われるように東京にそのような言葉があるかは分からないが、「東京人」と言われて頭に浮かぶのは案外に広くない地域に長く住んでいる人のイメージであるかもしれない。
「東京の人」を形作る役割を広く果たしてきたものとして「男はつらいよ」の寅さんの功績は小さくないだろう。寅さんは葛飾柴又の人なので荒川の向こうであるけれど、そこで描かれるのは「下町の人情」とかの言葉で表される「東京の普通の日常」である。その一方で特にメディアを通じて流される東京人の生活。それは主に芸能人だったりの生活だが、揃いも揃って広尾や白金、麻布での高級感と「お洒落」が溢れる「東京の生活」だ。これらの地域も実際に歩いてみれば分かるのだが古くからの住宅街で、少し路地に入れば昔ながらの家も残っている。それは何処の地域でも見られるような普通の家であり、特別セレブだけが集まっている地域でもない。メディアによるイメージ先行の街であるけれども、ここにも「東京の日常」はある。
寅さんの東京がひょっとしたら作られた日常かもしれないし、メディアが流す港区を中心とする地域のイメージが作られたものと言い切るつもりもない。
浅草で雷門をくぐり仲見世を通り花やしきから六区に至る地域を周る時、これらの地域が見せる「日常」は、少なくとも古くから続く日本の街の典型的な日常そのものではないかということ。それは多くの人が「下町」のイメージに持つ日常をごく自然に現す場でもあるとも思う。実際には浅草寺の門前として古い歴史を持ちながらも江戸時代に於いても浅草は江戸の端。花川戸の助六のような粋な男が闊歩する街だったが、北から南まで江戸は広い。しかしどういう訳か、港区の住宅街を紹介される時に付いてまわるのは「東京」であるけれど、浅草を中心とする下町の地域が紹介される時に付いてまわるのは「江戸」。雷門を中心とする浅草を紹介する時は古い「東京の原風景」が期待され、山手の高級住宅街はまるで現代的な高級が全てを支配してしまっているようだ。
が、そうであるからこそ、浅草の煎餅屋や天麩羅屋の声に安心感を得るのだろうとも思う。そのような浅草が背負い続けるのは「東京の下町であること」。
曰く、東京らしきもの=かつての日本の残影を見るのであれば浅草に足を運ぶのはごもっともな話であるし、私自身も好んでこれらの地域でそぞろ歩きを楽しむのだ。
ここに来るのが粋ってもんよ。
●24系統 担当:柳島車庫
福神橋~本所吾妻橋~雷門~菊屋橋~上野駅前~上野広小路~万世橋~須田町
都電が街中の移動手段として存在していた最末期まで走り続けた路線。墨田区~浅草~上野と、下町ど真ん中を走り抜けた路線です。
Originally, written on July 24, 2010