第八話
日本橋の空~1系統の風景

昼なお暗い日本橋の風景。

凡そ日本の風景の中でこれ程悲劇的な場所も思い出せない。土地の有効活用と言ってしまえばそれまでだが、都市の代表的風景となりえた、というか、実際に代表的風景だったこの橋の上を覆いかぶさるように高速道路を通してしまったその思想は、幾ら利便性を説いた所で「愚の骨頂」の謗りからは逃れられないだろう。せめてもの救いは、東京の他の場所で起こったように、例えば数寄屋橋などがそうであるように、日本橋川が埋め立てられるか暗渠にならずに済んだこと。立派な橋を橋として残していたのは、道路を造る方にも理性が残っていたと言うべきか。

日本橋の欄干は立派だ。
その麒麟と獅子の彫像や街灯の装飾は往時の日本建築の粋を集めた物であるし、その欄干を抱く石造りの立派な橋は現代の新しい橋では見る事が出来ない風格を持っている。現在の橋が架橋されたのは1911年(明治44年)のこと。明治の先人がこの橋にかけた思いが十分に伝わってくるようだ。関東大震災や度重なる空襲にも崩れることなく、現代まで橋として立派に機能している。

日本橋に空を取り戻そうとする運動がある。高速道路を撤去するか地下化を行うことによって日本橋と日本橋川に美しい都市景観を取り戻そうという提言だ。東京は都市化をより深化させることで発展してきたが、都市化とは必ずしも全ての利便性を向上させることでは無い筈だ。実現するには膨大な事業費と高架道路が担っている多大な交通量の解決が必要だが、我々が都市についてもう一度考え直すとてもいい機会をこの運動は提示してくれていると思う。

是非一度日本橋に立って周囲を見回してほしい。日本橋三越や金融街の建物と調和してどれほどこの橋の存在感があるか。ここは日本の道路の起点というだけではない。我々がこれからの都市を想像する際、発想の起点となり得る十分な存在だと思い至るのではないか。

日本橋は「日本」橋でもあるのだ。

甦れ。日本橋

甦れ。日本橋

●1系統 担当:三田車庫
品川駅前~三田~金杉橋~新橋~銀座四丁目~日本橋~神田駅前~須田町~上野広小路~上野駅前
上野駅から新橋の間は早くから地下鉄銀座線が同じ区間を走りましたが、それでも系統は維持されました。最近まで残っていた東京メトロの旧称(旧会社)「帝都高速度交通営団」の「高速度」は都電に対する「高速」の意味。
ポイントを一度も切ることなく、中央通りをひた走ります。

Originally, written on May 11, 2010