第八十一話
水天宮前の人形焼〜36系統の風景

かつて働いていた会社での話。たまに大阪に出張で訪れる際のお土産は生八ツ橋だった。
帰ると決まって、「また八ツ橋ですか」「なんで大阪に行って八ツ橋なんですか」「伊勢丹でも買えます」などとのご意見をいただくことになる。至極真っ当な、かつ、何とも風流でないことを言う集団なんだと思うものの、まあそうだろうなとも考えたりする。今の会社では周りの部門は四六時中東京と大阪を行ったり来たりしているし、関西出身のスタッフも多いので帰ってきた人達がお土産を買ってくることなどないが、自分自身が大阪出張すると自宅用に、またたまに懲りずに会社用に、新大阪駅や伊丹空港で大抵生八ツ橋を買っている。売っている種類もそんなにアップデートするようなものでもないと思うので、御堂筋線改札から新幹線に向かうところのお土産屋にある八つ橋の味は全て買ったと思う。

単純に好きなのだ。あの味が。面白味が無いとか有名とかそのようなことは二の次で、お菓子として好きなだけだ。それをスタッフに押し付けるのは申し訳ないと思うものの、文句を言いながらも食べてくれるし変に拒否もされない安心の味でもある。
定番というのは大事にしなくてはならぬ。

逆の場合 – 東京から出る時は何を用意するだろうか。

東京駅や羽田空港ではこれでもかと言うくらいに東京のお土産が売っているが、自分の場合はこのような場所で揃えることはない。単にこれらの場所に置いてあるものが何処の街でも見ることができるように思えることと – 店やブランドで見たら東京ならではというものなのかもしれないけれど – 、他の街で同じようなものが売っていたらそちらの方が美味しそうに見える、そんな気になる、つまりは非常にツマラない理由のためである。勿論天井から見下ろすような意見を述べるつもりもなく、東京駅で買う人は〇〇とか言う意図も全くない。恐らく自分自身の方に問題があるのだ。新大阪で八ツ橋を買うことを好む人間の意見と、笑っていただきたい。

思うに駅や空港のお土産は東京の味として売っているのだが、じゃあ東京の地場のものに興味が無いのかというと、全くそんなことはない。寧ろ人様よりも興味の度合いは強いだろうと思うくらいである。「ザ・東京」と言うような品を求めて百貨店の地下を歩くのは大好きだし、更に好きなのは銘店と言われる店を探し歩くことだ。

この「都電紀行」では好きなお菓子として麻布十番の今川焼と梶原の都電もなかについて記したが、もっと日常的かつ東京のお菓子として好んで求めているのが日本橋人形町の人形焼。人形町駅の界隈にはいくつかお店があるが、私の場合はその中でも水天宮交差点に構える重盛永信堂の人形焼である。

ここの人形焼は餡入りの「人形焼」と餡無しの「カステラ焼」、鮎型カステラの「登り鮎焼」があってどれも味が絶妙だが、加えて形が面白い。大黒様や恵比寿様の顔形だけでなく、カステラ焼では大砲とか戦艦とか旭日旗とかの、今どき有り得ない形も袋に詰められており、数十年一日のごとくで変わらぬお菓子を店頭に並べている。大人の事情があるのかは知らないが、この形について記した文章はあまりなく、深く掘り下げると何処からか声が飛んでくるのかもしれない。私自身は、お菓子の生まれた時代背景を踏まえておおらかに美味しく食べるのが生活を幸福にする秘訣の一つだと考えるタチだから、戦車のカステラを口にほうばることも気にはしない。
この形状自体は他のお店でも「戦時焼き」との名称で売っているので、人形焼の一つの形と思ってもらえれば良いが、この店のもう一つの名物である「ゼイタク煎餅」と併せて、東京の名物お菓子としてお土産の候補に紹介されても良いのに、と思う。

人形町界隈から少し歩けば日本橋室町界隈の中央通り。日本橋三越と江戸期から続くお店が両側に続く地域で、このあたりを組み合わせて周ればそれはそれで今時の東京風情を感じながら楽しめると思う。であるのに観光客よりも東京在住の人と思われる人たちが闊歩しているように見えるから、それほど気を引く見どころではないのか、もしくは中々足を向ける理由が見つからないのか。

東京といえど街のアピールは難しいものだと思うけれど、人形焼が東京駅のお土産に並ぶくらいの存在となれば良いと願い、今日も進軍ラッパのカステラ焼きを口にするとしよう。

水天宮前「重盛永信堂」

水天宮前「重盛永信堂」

●36系統 担当:錦糸堀車庫
錦糸町駅前〜住吉町二丁目〜新大橋〜浜町中ノ橋〜茅場町〜築地
城東地区と都心を新大橋通り経由で結ぶ系統です。茅場町から南の筋は「平成通り」と名称が変わりました。本数は多くないですが、後継の都バスが今でも錦糸町駅と築地駅の間を走ります。築地から晴海通りに進んで銀座から有楽町駅辺りをつなげば、もう少し利便性も上がると思うのですが、歌舞伎座あたり〜数寄屋橋の渋滞ではそれも難しいのでしょうか。