第七十七話
ウォーターフロントの廃橋〜23系統の風景

東京の街の発展は空への発展であると共に、海への発展でもある。

「進化」「発展」という言葉のもと、変わりゆく街の特徴として「より建物を高く」というのは – それがその場に立った場合に心地良いというかは別にして – 少なくとも日本に於いては一般的な所作である。明治に入ってから街の変わりようは言うに及ばず、敗戦からの復興発展の過程に於いては加速度的に空に向かって街は伸びていった。「高いもの」=近代的・未来的という信仰とも言って良いような発達は、人の集積も呼び起こして存分に進んでいく。少なくとも今の東京でもその傾向は止まってはいない。

どこの街でも大抵そうだと思うが、ここ東京においても近代の海への発展は工業地帯としてであった。江戸の頃、溜池や日比谷界隈の入江が埋め立てられて陸地になり、入江の一部は江戸城の堀を構成して埋められた部分は武家地に用いられたり商人の活動の場として発展していったが、本格的に海を「活用の場」として土地の進出があったのは、明治に入り工業盛んになってからである。
100年ほど前の地図を見れば月島、晴海、豊洲あたりは工場地帯であり有明や東雲あたりまでがようやく埋立地として伸びていた。現在のお台場や東京ビッグサイトは戦後の埋め立てである。
武家地は別としても、江戸期の頃はごみ処理の埋立地として活用されていたようだが、元々が浅瀬で干潟が多く存在する土地が多かったこともあって埋め立てにはそれほど苦労はなく、築地、深川、葛西あたりまでが埋め立てられていった。今となってはこれらの地域は元々の陸地とも思えてしまうような都市化である。そこから海側の現在の京葉線〜有楽町線沿線 – 今でもなんとなく海に浮かぶ人口島の感覚がある場所 – が戦前までに埋め立てられて工業地帯に活用された。
工業が発展すれば、造られたものを運ばなくてはいけない。それらの移動のため、亀戸あたりから臨港線が埋立地に向かって敷かれていった。

東京の臨港線は川崎や横浜あたりと比べるとそれほど路線が複雑化しなかったのは、水運が発達していたこともあろうと思う。水辺に沿って工場が建てられていったのに加え、隅田川を起点として本所、城東地域には運河が張り巡らされていたので、船による物流も発展していたのである。

そんな臨海部の発展に必要とされた臨港線の一つが晴海線である。南砂町あたりから豊洲を経由し、晴海、東雲方面に路線を伸ばしており、臨海部の物流を国鉄総武本線とつないだ。昭和の終わりくらいまで貨物列車が走っていたようだが、産業の移り変わりで晴海や豊洲から工場が消え、廃線となった。その後沿線が街として再開発されたことから路線を示す痕跡も殆どなくなってしまい、その跡地はビジネスビルや高層マンションに代わっていった。海辺への進出が産業から人間の空間に変化していったのである。

高層マンションのネガティブな印象がここ数年で出てきたものの、ここは「東京」のウォーターフロントである。人工的で地盤が軟らかいとか地震に弱いなどというマイナスの指摘は外部の声に過ぎない。それらをいとも簡単に吹き消すくらいに、これらの地域には住みたい人が多過ぎる。人気の居住地としてマンションを建てればいくらでも人が来るのである。
近未来的な風景に美しい夜景、海風が心地良く(というイメージで)、ファミリー向けのショッピングモールが存在し、銀座まで10〜20分で出られ、東京駅へもそれほど混まない道をバスで一本ということであれば、人気が集まらない方がおかしい。

そのような、いわば最先端のイメージを作る街に、晴海線の唯一の痕跡である廃橋が残っている。豊洲と晴海を結ぶ線上にかかるその姿は現代のウォーターフロントの風景の中で違和感を存分に出している。橋の構造に価値があったので残ることができたということらしいが、今の時代に残骸のままでいることは許されない。

都は先頃、この橋を主な構造として残したまま、遊歩道として整備することとアナウンスした。どこまで綺麗にするかはわからないが、人を呼ぶだけでなく地域のイメージを象徴するような存在くらいにはすると思う。

人口が減り始めた東京といえど、エリアというものがある。地域に新たに地下鉄を作る計画も出てきてもいるし、向こう何十年かは人気を保つ予定なのだろう。
晴海の廃橋は更新し続ける時代にも人の活動を結ぶ橋としてこれからも存在し続けるのである。

未来に向けて静かに佇む旧鉄道橋

未来に向けて静かに佇む旧鉄道橋

●23系統 担当:柳島車庫
福神橋~本所吾妻橋〜東両国緑町〜清澄町〜門前仲町〜月島
本所から隅田川の東岸を走り、両国を通って深川を結ぶ系統です。街の主要移動手段たる都電網の最末期まで走り続けました。業平橋に東京スカイツリーこそ建つものの殆どの経路となる清澄通りはそれほど高い建物もなく、跡を継いだ都バス門33系統が一昔前の街の風景を結びます。