第一話
面影橋の桜~15系統の風景

私が最初に歩いた街は面影橋界隈だった。

東京に出てくると決まり、住居を探すために夜行列車で東京駅に着いたのは朝7時前。あらかじめ目をつけていた不動産屋はあったものの、開店するまでには時間がある。モーニングを食べながら時間潰すのは何となく勿体無い。よって東京駅から京浜線に乗り、王子駅で降りて朝食を取り、都電で都の西北に下りてきた。

面影橋とは感傷的な名前の橋であるが、それに惹かれて電停を降りた訳ではない。別に理由などなかったのだ。

不動産屋は新宿であり、面影橋からなら高田馬場まで出て山手線に乗れる。今考えると学習院下の方が近いのだが、その時はそんなことは知らない。電停を降りたすぐ道路沿いに神田川が流れており、川沿いにてくてく西の方に歩いていた。

日本人なら桜の木だけは誰でも見てすぐにわかる。一月の寒い頃で葉の無い桜であったが、川沿いに延々と植えられている様は、春の景色を期待しない訳にはいかないもので、その季節にはとてつもない桜並木の光景となるのは十分に予想出来た。

面影橋は神田川にかかる橋である。都電が渡る高戸橋から早稲田電停近くの豊橋(ゆたかばし)までこの界隈には6本の橋がかかるが、丁度真ん中あたりに位置し、南は西早稲田、北は宿坂をかけあがって高田、雑司が谷へ続く。宿坂の隣に位置する坂を胸突坂といい、車が通る道では東京で一番急な坂と言われる坂である。胸突坂を上がると千登世橋の際。我が家はすぐそこだ。
橋の歴史は古く、大田道灌の逸話「山吹の里」という話もある。安藤広重の浮世絵にも書かれているくらいで、昔から名所でもあったらしい。

今年の桜の季節、この神田川沿いを歩いてみた。両岸を埋め尽くす桜は筆舌に尽くしがたいもので、有名な九段の千鳥が淵の桜とはまた違った意味で見事と言う外はない。難点を挙げるとすれば、護岸工事が完璧に施された神田川のコンクリートの壁であろう。

いつかこの界隈から離れる時、この面影橋辺りの桜の記憶と共に出ていくことに違いないのである。
私にとっての東京の入り口は、面影橋であったのだ。

神田川沿いの桜並木

神田川沿いの桜並木

●15系統 担当:早稲田車庫
高田馬場駅前~早稲田~江戸川橋~飯田橋~九段下~神保町~小川町~大手町~日本橋~茅場町
かつて都電最盛期には最も乗降客の多かった系統でした。

Originally, written on April 10, 2010