第六十四話
天皇の学習院〜32系統の風景

日比谷公園にある洋食の名店「松本楼」。伝統的洋食屋のご多分に漏れずカレーが知られており、行列を作る人たちもそちらが目当ての人が多いようだが、自分としては洋食屋はハンバーグで評価したい。この店のハンバーグは絶品というわけでは無いけれど、極めて基本的な安心の味を提供してくれる。なじみ客としては孫文もいたレストランで、歴史に興味のある人も是非訪れてみたい。
そのような松本楼であるが、その支店を意外な場所 – 学習院大学構内で開いている。

学習院とは言っても松本楼だ。お店のレベルから学生が学食がわりに行くという感じではない。教職員の日常使いとしても店が保つとも思えない。やはりそこは、大学の持つ立ち位置が開かせた、と言うべきか。

都の西北は早稲田大学だが、それ以外にも池袋の立教大学や雑司が谷の東京音楽大学、目白台の日本女子大など、多くはないながらもこのエリアには名前の通った大学がキャンパスを構えている。御茶ノ水-水道橋界隈ほど密集しているわけでは無いにせよ、文教エリアと言っても差し支えないだろう。

以前会社で一緒に働いた人は学習院で学んでいて、一つ上の学年に居たのが浩宮だった。いつも警護の人が近くにいたので、歩いているとすぐに分かったらしい。ご本人は別に威張った風ではなく、勿論その育ちから自分達と違うことは雰囲気で明らかなのだが、かといって変な壁を感じるような人では無かった、とのことだ。後に皇太子、そして天皇になるのが道づけられた人だったと言うのもあってか簡単に声をかけるようなことは出来なかったそうだが、生まれとその道筋を誇るような印象は無く、学内での印象は良かったらしい。

私も今上ではないが、上皇の車列には会ったことが二回ある。当時は天皇だった。いずれも夜の9時過ぎで近所の目白通り、警官が現れ信号機を消しているので何事かと思ったら、すぐに2-3台の黒塗りの車列がゆっくりと現れた。車内灯を付けた車の後部では窓を開けて沿道に向かって挨拶している。美智子さんだった。車道中央寄りの奥には上皇が座り笑顔でおられた。目の前を通り過ぎるのを見送ったが、映像で見るのと同じ、穏やかな雰囲気の方々だった。その後で知ったことでは、一度目は学習院に用が有った帰り、二度目は娘の清子さんに会った帰りとからしかった。いずれもプライベートでの訪問とのことだったからか、大それた行列ではなかった。

学内には院長時代の乃木将軍が居を構えた建物が残っている。以前書いたように乃木は本宅も質実な建物だが、ここ学習院でもひっそりとした居室を好んだらしい。軍人として戦上手では無かったが、教育者としては適した人であったのだろう。

華やかではなくバンカラでもなく、名を持ちながらも我が道を行く大学だが、その立ち位置もあってか静かにかつ存在感のある大学として、目白の地に建っている。

桜散る学習院の門

桜散る学習院の門

●32系統 担当:荒川車庫
荒川車庫前~王子駅前~飛鳥山~庚申塚~大塚駅前~東池袋四丁目~鬼子母神前~早稲田
今も走る都電荒川線の西側区間です。私が来た当時、雑司が谷の界隈は線路にへばりつくように家が立ち並んでのんびりした雰囲気でしたが、明治通りから東池袋に向けるショートカットを建設中の今、車道の真ん中を走る電車に変わりつつあります。