第六十八話
車内広告の和菓子〜27系統の風景

ふと天井を見上げてみた。そこには車内広告ずらりと並んでいた。

携帯電話を持つおかげで車内で上を見ることが激減したことから、バスや電車の車内広告が減る一方である。乗客がみんな下を見ているから、広告など目に入る筈もない。実際、中吊りはもちろん、天井の袖広告も空きが目立ってスカスカである。何となく寂しい気もするが、見せつけられる情報が少なくなるのは歓迎したい気もする。仕事として広告にも携わっている人間が言うべきことではないが、情報の過多は疲れるだけだ。見なければ良いのだろうが、無視出来るほど体質が無関心には出来ていない。
そんな事情もあってか何とか事業者も広告を見せようとしているのか?それとも広告を入れ替える手間を省くためだろうか?恐らくその両方のようにも思うが、山手線の車内広告はモニターを通じてのデジタルになった。運輸事業者にとって広告はそれなりの収入になるため、痛手とはなっている。広告はまだしも流れる風景にも興味を払わなくなることも多くなったのは、少なくとも自分にとって不幸とは言うべきもので、今すぐにでもスマートフォンを捨てたいと思うことが多々あるが、それがかつての本や新聞と何が違うのですか?と言われたら、「興味がないものまで見てしまいますので」というのは、反論にもなっていないような気がするのである。

路線バスの広告 – 今では数少なくなった袖広告 – の多くがそうであるように、都電の車内広告は地元感満載である。沿線のお医者とか食事処とか一時流行った過払金処理の行政書士とかの広告がずらり並び、なるほど、ローカルな乗り物だと楽しくなる。ここまでは美容クリニックとかゲームとか金融機関などの広告は追いかけて来ず、十年一日のごとく私が来てから変わらないデザインの広告が車内を賑やかしている。それでも都バスは交通局のアピールが車内の多くを占めているが、少なくとも都電においてはそんなに出稿量が減っていないとみえ、櫛の歯がかけたようにはなっておらず、この災厄でもそれぞれが頑張って営業を続けているんだなとも感じられて楽しくなる。

このローカル感満載の広告達の中でも注目すべきは、宮の前の酒鍋屋と梶原の都電もなかだろうか。
前者は特徴的な絵が印象的な下町の食堂、後者は特徴的なパッケージが印象の和菓子屋である。

酒鍋屋は昭和二十年代創業でそれなりに歴史があり、元々はとんかつ屋。「炎の酒鍋」の文字と、恐らく元々のご主人を描いたと思われる何というか、形容のし難いイラストが面白い。
「酒鍋」という料理は聞き慣れないが、元々は西国にその種の鍋があるらしい。が、私は東京、しかも荒川区でしか聞いたことがない。一度食べてみようと思うが、夕飯時になると忘れてしまっている。そんなこんなでまだ足を向けたことは無いのが罪である。

都電もなかは、都電の車両を形どったもなかで、中にこし餡が入る至って普通の最中だ。使い古した型なのか、最中の限界なのか、車両の形は今一つ判別しないが、味は美味しい。包装する紙パッケージが新旧の車両を模していて、何となく集めたくなる。私の知る限りお店でしか販売しておらず、他の百貨店とかに出店しているのを見たことがない。東京駅のお土産コーナーに置いたらそれなりに売れると思うが、そんなに商売っ気が無いのか、別の事情かはわからないが、他所では(恐らく)購入できず、欲しかったらお店まで行くしかない。お店も商店街の一角にある古い和菓子屋であって、ローカル感満載。このようなお店が広告を出しているのか、と思うのと何となく嬉しくなる。

そんなことを思いながら広告を見ていて、私も久しぶりに食べたくなって梶原まで出てみた。贈答用として箱包装を推しているが、一個からも買うことができる。お気に入りは古い型の都電である。味は同じとわかっていてもパッケージにはこだわりたくなる。7個ほど種類のある中からお気に入りの他に2つほど選び、少し気分が良くなって店を出た。

たまにはスマートフォンを離れ、車内を見上げてみるのも悪くはない。

「明美製菓」の都電もなか

「明美製菓」の都電もなか

●27系統 担当:荒川車庫
三ノ輪橋~町屋駅前〜荒川遊園地前〜王子駅前~赤羽
都電荒川線の東半分です。王子駅から赤羽までの北本通り区間を廃止し、ほぼ専用区間の三ノ輪橋までを32系統と共用で残し、荒川線として営業しています。
仕事に疲れた時は上野から町屋まで京成電車で出て、都電で40分ほどボーッと揺られながら雑司ヶ谷まで帰ります。