第四十六話
13番線のしょこたん〜24系統の風景

「トオサン番、回2021列車入線ー」

回送列車入線の業務放送がホームに流れた。
日本で一番長距離列車が似合う上野駅13番線に、8両編成という決して長くはないブルートレインが入ってきた。行き止まり式のこのホームには、尾久の客車区から「推進運転」といって、機関車が編成を押しながら入ってくる。

私が人生で唯一会った秋田県人であるしょこたんは、大館の出身で今は東京の表参道のアパレルでOLをやっている。完璧に標準語を操り、本人が口に出さなければ東京か神奈川の出身だと言っても信じてしまうだろう。東京に来て出会った人間で、最もおしゃれで目の覚めるような秋田小町。しょこたんといい、佐々木希といい、秋田には「小町」の言葉通り、何かあるのか、などと馬鹿な事を考えてみてもした。そもそもこの旅行はゴールデンウィークの頃に計画していたのだけれど、しょこたんから十和田湖や奥入瀬の話を聞いて、期待を持って秋田に乗り込むことになった。

新幹線が上野に来る前、この薄暗い13番線は東北本線と上越線を経由する客車急行がその主だった。同じ方面に向かう昼間の特急やブルートレインは他の地平ホームの14〜17番線や高架の7、8番線などに発着していて、派手好きのカメラを構えた鉄道小僧たちもそれらをよく追いかけた。対してそれぞれの地方都市に丹念に停車する長距離急行 – それらの列車の性格からして乗車する人たちも極々普通の人たちが故郷に帰る列車 – が、この13番線には発着した。18〜20番線は常磐線経由の長距離だが、こちらは特急、急行に加えて仙台まで行く客車普通などがごちゃ混ぜだった。畢竟、14番線以降の華やかな雰囲気に対し、13番線は常に「地方」がホームに充満した。それは言ってみれば異郷の空気であり、子供の私にとってはなんとなく怖い空間であった。

21世紀になり、あれだけ長距離列車が発着した上野駅も、寝台特急は札幌と金沢、そしてこの羽越線まわり青森行の計3本。他に金沢行の座席急行が夜行で1本。それらとは別に豪華寝台が札幌に行くものの、観光列車の性格を帯びており、移動の手段として生きているのはこの4本のみとなった。
そんな年月が経ち、寝台特急までもが発着するようになったこの13番線は自分を未知の世界に運ぶフロンティアへの入り口に変わっていて、行き交う列車は少なくなったけれども、このホームに立つ時は子供の頃とは変わって気分が自然に高揚した。

しょこたんも地元から上京するこのブルートレインをよく知っていて、何度か利用したことがあるらしかった。その列車の意味合いは同世代の都会の女性とは全く異なる、言ってみれば故郷の列車であって、長年に渡って東北へ行く人々を送り続けてきたこの13番線から秋田方面に向けてまた出発したのである。

車内のアナウンスが、今日は満席であることを告げている。
自分の開放B寝台コンパートメントでは私が一番若かった。あとはみな60代前後と思われる人たち。隣のコンパートメントは私と同じくらいの男性4人組であったが、ずうっと喋り通しでうるさくて仕方がない。少なくとも彼らが越後湯沢までは寝台灯をつけて話込んでたのはわかっていた。何故なら私もその辺りまで通路の椅子で本を読んでた=起きていたからだ。

象潟で一度目が覚めたが、本格的に起きたのは秋田に到着する寸前だった。朝7時前であったけれど、寝台列車といいながらもここからは立席特急券で普通の座席特急と同じように乗れるとあって、大量に人が乗り込んできた。
同時に車内に聞きなれない方言が充満した。こちらの言葉は同じ日本語と言えども何を言っているのか分からない。

私のコンパートメントでは、まず初老のスーツをきっちりと着こなした男性が二ツ井で降りた。この方、余程律儀な人と見えて、シーツや布団を綺麗に畳んで窓側にそろえ、その上にハンガーを丁寧に建てかけた。私は上段であったので通路の椅子に座っていたが、下段のもう一人の男性が「空いた寝台に座りなさい」と席をすすめてくれた。

弘前まで行くこの男性は、時代がかったお決まりの話を始めた。曰く、集団就職列車で東京に出てきた。親の調子が悪いので弘前に戻る等々。津軽に行くのにはこの列車がなんだかんだ言っても一番便利だ。でもJRも新しい車両を作らないから、その内この列車も無くなるのだろうが、新幹線が青森まで来たとしても、勿論秋田まで来ている今でも、乗り換えもいらず夜東京を出て朝田舎に帰れるのだから、これほど便利な列車は無い...。もう一人、私の向かいの上段に寝ていた女性は結局降りてこなかった。昨日の検札で見た感じでは、青森まで行くようだった。

8時半過ぎに大館で列車を降りた。駅前には何もなく、秋田犬の銅像だけがポツリと鎮座していた。最近、日本の地方都市は何処に行っても寂しく感じられて仕方が無いのだが、しょこたんの印象があるだけに余計に暗くなった。

かつてこの駅前が繁盛していたのは容易に想像できた。店らしきものはいくつかあった。しかし、朝とは言っても開いている店が、駅の正面に見える今から自分が向かおうとしているレンタカー屋しかない。タクシーが数台、駅前にたむろしているが、長距離列車が到着したこの時間でも乗る人がいなかった。大体駅にだって人などいやしない。駅員と、キオスクの売り場の女性と、地元の人が10人程度。それも高校生くらいの若者だ。待合室も黙りこくっている。音の無い空間で、喋ることを拒否してしまっているようだ。もし似合う音があるとすれば、風が吹きつける音だけだろう。

表参道のしゃれた雰囲気と、このうら寂しい大館駅前との差は一体何なのだろうか。とても同一人物に関係するところには思えなかった。間違いなくこの駅前に立ったことはある筈だが、どうしてもおしゃれなアパレルOLがこの駅頭に立つような光景は想像することが出来ない。高校を卒業して東京の専門学校に来、就職してそのまま東京に居着いてしまったということだったが、無理もない。人生これからの若者をとどめ置けるだけの理由がここにあるのだろうか。唯一あるとすれば故郷の二文字だけ。若者の流出が地方都市の問題になっているけれども、その現実をまざまざと見せつけられた気がした。

少し暗い気分でレンタカーを借り、十和田湖へ走らせた。

上野駅13番線 - 消えた長距離列車

上野駅13番線 – 消えた長距離列車

●24系統 担当:柳島車庫
福神橋~本所吾妻橋~雷門~菊屋橋~上野駅前~上野広小路~万世橋~須田町
この系統の廃止を以て、都心の移動手段たる都電はなくなりました。最後に残ったこの系統が浅草〜上野〜神田を結ぶ路線であったことは、誰もが想像する東京の風景の一部としてこの系統を残していたのでは、とも思うのです。