第五十七話
年の瀬の救世軍〜18系統の風景

子供の頃のクリスマスの記憶と言えば、父が職場で受け取ってくるクリスマスプレゼントと横浜駅西口の救世軍社会鍋だ。

クリスマスプレゼントは、今から思うと会社の福利厚生か何かで何かしらから選べるものだったと思う。小学生の低学年くらいまでもらっていたように思うが、配るのをやめてしまったのか、それとも年齢的に合わなくなったのかはわからないけれども、自然となくなってしまった。

年の瀬に横浜の市中に出て買い物をするのが年中行事だったからか、西口の救世軍はこの時期の見慣れた風景だった。厚いコートに制帽、丸眼鏡をかけた何となくの昔ながらの顔の人が、ラッパを吹きながら募金を呼びかけていた。横浜には年に何度か連れられていったが、この人達を見るたびに、クリスマスや正月が近づいてきていることと、横浜に来ていることを意識した。
今ほど頻繁に何処かへ出掛けるような生活ではなく、湘南電車にしばらく揺られる楽しさもあったのだと思う。横浜に出ることは自分の中で大イベントでワクワクする出来事であり、更に年の瀬の横浜行きは普段にも増して楽しい外出だったのだろう。何かしら嬉しい買い物がついてまわり、品揃えが地元とは段違いに違う有隣堂で本を買ってもらえ、帰りには大好きな崎陽軒のシウマイがお土産になった。そのイベントには常に救世軍の立ち姿があった。

世の中が変わったのかその活動が小さくなったのかはわからないけれども、救世軍の名を聞くことは少なくなったような気がする。果たして「救世軍」の名を知っているのが、特に若い世代ではどれだけいるのかとも思う。
この何十年の間にいくつかの大きな天災が重なってその度ごとに義援金だとか街頭募金だとかの話は見られるが、そこに救世軍を見ることはない。そもそもがキリスト教系の団体で困窮者向けの支援などが主だった活動だから、被災への支援とはまた少し違うのかもしれないが、街やニュースでクローズアップされることも少なくなった。

「支援」は年末に限るものではなくなったからだろうか。募金する人自体が少なくなったと言うことではなさそうだが、統計を取っているわけではないからその詳細はわからない。ただ、例えば災害が起こった時に公的支援に加えてボランティアの活動が取り上げられるようにはなってきたし、それこそコンビニやオンラインなどでもお金を支援することもできるようになってきているので、社会が不寛容になったと言うことではなさそうだ。

行為が普遍になってくれば、特別なものとして取り上げられることは少なくなってくる。いくら歴史ある活動とはいえど、風物詩だけでクローズアップされるものでもないのだろうし、そもそもがその活動を目にすることが少なくなったように思う。勤務先が駿河台だった時には神田神保町に出ることが多かったので、集英社の隣にある「救世軍本営」をよく仰ぎ見ていたからなんとなくその存在を意識していたけれども、多くの人にとっては正直なところ、年末であっても思い起こすことも無くなってしまったのではないか。

この年の瀬、都心では銀座松屋、新宿京王と小田急、上野松坂屋の前で社会鍋を出しているとの情報を見た。東京でさえこれだけの規模なのかと少し寂しくなった。
たまたま上野で目にしたので、ポケットを探った。声をかけるのはお年を召した方々だった。残念ながらここではラッパは吹いていなかったが、活動に優劣があるわけではない。懐かしさも手伝って、気持ちとしては両親の分も合わせて鍋に入れてみた。

年の瀬の社会鍋

年の瀬の社会鍋

●18系統 担当:巣鴨車庫
志村坂上~板橋区役所前~新庚申塚~巣鴨駅前~白山上~後楽園前~一ツ橋~神田橋
都電最長路線です。神田から志村までを市内電車で結ぶのは流石に長いと思ってましたが、一方で今の都電荒川線がほぼ同じ距離を走ることを思うとそんなもんかという気もします。
ただ荒川線は主に専用軌道を走って50分。路面を走るとなるとおそらく1時間は優に超えていたと思え、時間的にはやっぱり長距離ですね。