第四十八話
真夏の零戦〜10系統の風景

九段下の駅を降りて迎える夏の日差しは、これでもかというくらいに暑い。九段坂の左に佇む牛ヶ淵にはハスが生茂るものの水面が遠くて涼しさを感じる筈もなく、靖国通りを挟んで北に立つ建物達 – それらは旧偕行社の跡地に建つ – からの照り返しは、九段坂の空気を容赦無く焼く。加えてこれから向かおうとする靖國神社や北の丸公園の蝉の声が、その暑さを増幅させる。

この時期の九段界隈は、東京のあらゆるエリアの内で一番暑いのでは無いだろうか。遮るものが少ないこの大通り、道行く人も桜の時期とは異なり、半袖姿で時には日傘を差しながら、黙々と坂を歩いていく。道の北側の歩道 – 靖國神社に続く側では反中国のビラ配りが暑い中で声を枯らしているが、立ち止まる人は少ない。

8月15日の靖國神社は「異様」という言葉が最も近しいと思う。
普段にも増して激しい主張が神社への道筋に並ぶ。この日は特にと思うのだろうか。一見普通の人々が、遠慮も理知もほとんど感じることが難しい内容の言葉を、道行く人々に対して無造作に投げつける。
大鳥居をくぐり、大村益次郎の銅像を過ぎ、神門の前まで来ると、この時期に現れる不思議な集団 – 旧日本軍の兵装の小集団が、大きな日の丸を掲げて行進をしている。指揮を取る老人に続き、歳格好は自分よりも若い人たちが小銃の模擬銃を肩に掲げて歩く姿。またその一団を、スマホやカメラで撮る人たち。今の時代であればコスプレの一種と思わるかもしれないが、ご本人たちは至って真面目だ。その姿を撮る人たちも面白がっているのだろう。いや、敢えてこの行進を見に来ているのかも知れない。

靖國神社の成り立ちがどうであれ、日中・太平洋戦争と絡めて語られることが非常に多いその立場では、それなりの主張がこの場所に充ちるのは致し方がないと思う。
特に8月15日にわざわざ参拝する人々であれば、「英霊に感謝を」のような理由でその多くが来ているのだろう。直接戦場で戦った人々が年を取る中で、参拝者の主はその子供世代に移ってるようだが、それらの人々が手を合わせ、頭を下げること自体は否定しないしまた否定もできない。

民にとっての靖國神社は、その多くの場合、慰霊の場となるだろう。ここに公の意味が加わる、もしくは公の作為が加わった場合、一気にこの神社が持つ意味合いがライトスタンド方向への場外ホームランとなる。
もう少し踏み込んで言うと、この靖國神社をある政治的な主張の場として位置付け、反中嫌韓のメッセージの場としての靖國神社。その拠り所の総本山たる位置付けがこの神社であり、ある種の意思や主張を持つ人々が集まって声高にその存在をアピールする舞台となる。

靖國神社は慰霊の場では無いのか?「反中」と「英霊」がどうして結びつくのか?素朴に思う。この場で盛り上がる人達の感覚がどうしても理解できない。けれどそのように自分が持つ疑問を、その境内の空気に見かけることもない。

靖國神社がそこかしこに記す「戦争」とは、「英霊」が国のために全力を傾けた「行動」である。この神社に祀られている「英霊」とは戦争で倒れた人々(軍人・軍属※)であるため、当然のことながらその英霊=神の行動を否定することは無いしあり得ない。特攻隊の出撃に対して述べる言葉は、「国のために命を投げ出してくれて有難う」「あなたの行動があったから今の日本があります」であって、どうして出撃せざるを得なかったのか、何故そのような悲劇が起きたのかに対する言及は無い。
なので、案内一つ一つを読んでみても腑に落ちることはなく、違和感を感じて神社を後にすることになる。

※空襲等で犠牲になった人々は祀られていない。一方で戊辰戦争後の国内外の戦乱・戦争で命を落とした人や幕末の志士、坂本龍馬までも祀られてはいるのだが、それらの人々が祭神として語られることは少なく、恐らく周知もされていないだろう。

この神社に祀られている「神々」に対し頭を垂れる意味とは、その心中を慮ることで諸外国との未来をどのような世界としていくか、を考えることだと思うのだ。
侵略万歳と思っていた人も、心を殺して銃を撃った人もいただろう。皆が戦争を否定していた筈はなく、一方で逃げたくて仕方の無かった人もいた筈だ。ただどのような立場であれ、恐らく多くの人は「敵国」がいなければ銃を手に取ることは無かっただろうし、敵だ味方だと意識をせずに外国と付き合えたのだろうと思う。
そのような意味では、この神社を訪れてこの場所の意味を考え、心を落ち着かせることは否定すべきことでもない。

神社の境内に立つ「遊就館」には一機の零戦が静かに置かれている。8月15日にここに訪れて見る零戦の機体は、そのような「世界」との関わり方を教えてくれているようだ。

モノ言わぬゼロ戦

モノ言わぬゼロ戦

●10系統 担当:青山車庫
渋谷駅前~青山一丁目〜赤坂見附〜三宅坂~半蔵門〜九段上~神保町~須田町
渋谷から赤坂を経て半蔵門界隈を北に進み、靖国通りに入って神田へ抜けました。
首都高速の整備に合わせて、青山から四谷方面へ進み、市谷見附から九段に至る、新宿から来る12系統と重なるルートに変更されました。