第二十五話
三宅坂のランナー~11系統の風景

日比谷交差点から祝田橋を過ぎて桜田門から半蔵門への道筋、桜田濠とその向こうに見る皇居の緑は殊の外美しい。三宅坂を上がって霞ヶ関方向を見下ろすと、その開放感は一層増してくる。大都会の真ん中にこのような空間を持っているのは、東京の持つ風景として外に誇れるものの一つだろう。連日の政治ニュースで報道されるこの辺りで起こる出来事は、案外に狭い地域で起こっているものだなあ、と思えてくるのである。

皇居を囲むようにして走る内堀通りと竹橋から代官町へ向かう道筋は、いつもランナーでいっぱい。ルールがあるのか知らないが、大抵皇居を反時計周りでランニングをしている人ばかり。半蔵門をピークとして桜田門が最低地点となるけれど、竹橋から乾門を経て半蔵門に出る方が、三宅坂を上がるよりもきっと楽なんだろう。このコース、昼間だけでなく夜10時くらいとかでも多くのランナーが走っていたりするので、その筋では相当にメジャーらしい。勿論千代田区とか中央区とかに住んでる地元の人だけではなく、外から来て走ってたり仕事帰りに走っていたりもするようで、麹町の方だかの銭湯はランナーを相手にしたサービスもあるようだ。考えてみれば、場所柄、そこら中に警官が立っているから夜遅くでも治安にそれほど不安は無いのだろう。むしろ日本で一番安全なコースなのかもしれぬ。

桜田門から半蔵門に至る三宅坂の脇には、江戸時代まで井伊彦根藩の江戸屋敷があった。桜田門外の変で暗殺された井伊大老は、江戸城から屋敷に戻る途中、門から坂に出る所で攘夷派にやられたらしい。
時代が下がり、三宅坂の井伊屋敷は次いで陸軍の参謀本部と陸軍省に代わった。霞ヶ関の官庁街やその中に置かれた海軍省や軍令部と比較して、皇居を望む高台の開けた場所に参謀本部が置かれたことは、その当時の陸軍の立ち位置とかポリシーとかを如実に表しているようにも思える。

三宅坂の下、国会議事堂から国会前庭とか憲政記念館などの辺りは戦後に整備された地域である、終戦直後の航空写真とかを見ると、この辺りを走る道筋は全く異なっている。新憲法発布後の東京はそれ以前の反動からか、例えば皇居東御苑を国民広場と名付けてみたりと、現代以上にデモクラティックが意識されていたような気がするのだが、国会周辺の公園化とかも果たして現代なら行われていただろうかと思う。

私はランニングというよりも自転車で三宅坂を上がることが多い。家から日比谷方面に出ようと思ったら皇居の東を通る方へ向かう方が楽だが、帰りは家までのルート柄、半蔵門を目指した方が楽なので、三宅坂にペダルをこぐことになる。なるほど、三宅坂だろうが竹橋廻りだろうが、これだけの高低差を走っていれば健康にもなるに違いなかろう。

東京らしくない開放感、けれど東京の代表的な光景である三宅坂。地下鉄で通り過ぎてしまうにはあまりにももったいないこの景色を、東京に訪れた人には是非楽しんでいただきたいと思うのである。

桜田濠

桜田門の向こうに丸の内を望む。東京。

●11系統 担当:大久保車庫
新宿駅前~四谷三丁目~四谷見附~半蔵門~桜田門~銀座四丁目~築地~月島
東西を結ぶ中心路線。新宿歌舞伎町から皇居御堀、銀座を経て勝鬨橋を渡っていました。
かつて同じ経路で都03系統の都バスが新宿駅と晴海埠頭を結んでいましたが、あまりにも長距離客が多くて(多分新宿~銀座の乗客ばかり)逆に採算が悪かったそうで、四ツ谷駅と新宿の間は廃止されてしまいました。とても景色がいいのですが乗客が激減し、一時間に一本程度しか走っていないのが残念。

Originally, written on August 21, 2010