第五話
三四郎池の文人~19系統の風景

本邦の最初の大学は東京大学である。

元々は「昌平坂学問所」という徳川幕府の教育機関が明治の時代にいくつかの変遷を経て東京帝国大学~東京大学となった。
明治の著名知識人達が軒並み東京帝国大学出身なのは当然の話。その時代、大学はそこしか無かったからで、大学出と言えば東京帝大出身を指すのは当然のこと。帝国大学は最終的に、旧七帝大と京城、台北の9つを数えたが、その歴史上の経緯からも良くも悪くも日本に於ける大学の中の大学であることは論を待たないだろう。

ここで語りたいのは最高学府とされる東京大学ではない。
東京の一風景としての東京大学である。

ビルの乱立する東京都心にあって、東大の本郷キャンパスは心静まる空間であり、のんびりと散歩するのには丁度良い所。本郷通りに面する正門を入ると左に工学部列品館。その先に法文一号館。銀杏並木の突き当たりに安田講堂をのぞむ。この正門から続くストリートには「東京帝国大学」の文字が彫ってあるマンホールの蓋も残っている。
東大と言えば安田講堂と並んで赤門が有名だが、こちらは歴史的には加賀藩邸の門という意義はあるものの、建物の空間に対する象徴性を考えるのであればやはり正門から入りたい。
落ち着きある銀杏並木を過ぎ、安田講堂手前を右手に曲がり少し進むと鬱蒼として緑の空間とその中央に位置する三四郎池が迎えてくれる。ここのほとりにたたずめば、東京のど真ん中にいることを忘れされてくれることは間違いない。

この三四郎池は単なる池にとどまらない。明治の頃間違いなく夏目漱石や森鴎外も周囲を歩いたことがある池であり、芥川龍之介が思索したその当時となんら雰囲気が変わっていないことを実感させてくれる池である。
実際「三四郎」には小泉八雲(ラフカディオハーン)がこの池を廻ったという記述もあり、明治、かくも此の地に残れり、という感じ。彼らがこの池の周りをどのように歩いたかを小説に詳しく見ることは出来ないけれども、今も繁る緑が都会から隔絶した空間を作っているのを感じる時、まるで自分が明治や大正の頃に踏み込んでしまったような感覚になる。

三四郎が小説の中で抱く感覚、恐らくそれは地方から日本の中心に出てきた誰もが持つであろう感覚だが、平成となった今でもさして変わることは無いように思う。
地方から出てきた三四郎は東京のことが訳もわからず、東京を象徴するような美禰子さんに思いを寄せるようになる。美禰子さんは肝心なところで曖昧な態度を取り続け、はっきりした態度を三四郎に示すことはない。美禰子さんとはすなわち東京そのものであり、三四郎=上京してきた私自身と置き換えれば、自分自身が東京に対して抱くその不思議さを共感できるところでもある。この池はまだ、三四郎が美禰子さんと歩き、想いを馳せるそのままの風景なのだ。

三四郎池からは東大病院の前を通り、鉄門から大学を出、無縁坂を下ると不忍池に連なる。無縁坂は鴎外の舞台そのままである。

東京にはこのように歴史を実感させてくれる場所がいくつもある。勿論京都や奈良も言わずもがなだが、彼の地が主に19世紀半ば以前、奈良に至っては万葉の頃の歴史がメインであるのに対し、東京の歴史風景は明治以後のものが数多く、いわば自分の中で想像実感できる範囲の歴史を示す場所がメインとして存在する。

東京には多くの歴史を実感させてくれる場所が残っている。それらの多くは我々の感覚の手に届くところにある。

ビルの乱立する大都会にそのような場所を見つけた時、少しでも立ち止まってその当時に思いを寄せてみたいと思うのである。

新緑の三四郎池

新緑の三四郎池

●19系統 担当:駒込車庫
王子駅前~飛鳥山~駒込駅前~上富士前~東大赤門前~神田明神前~万世橋~日本橋~通三丁目
本郷通りをひたすら走り続ける路線。個人的には、この本郷通りは不忍通りと並び、落ち着いた雰囲気で好きです。

Originally, written on April 29, 2010