第五十九話
幻の帝国図書館〜40系統の風景

上野の山、東京芸大音楽学部の裏、国立博物館の西隣に、国立こども図書館がある。その位置からあまり目立つ場所ではなく、それなりに東京に住んでいる方でもご存知の方は多くないのではないだろうか。
少し北に行くと上野寛永寺の根本中堂。鶯谷駅、谷中霊園、上野桜木の方に続く。街の喧騒からは遠い場所にあって、また通る車も少なく、静かな場所だ。ちょうど地下の浅い場所に京成電車が走り、何かと記事になる「博物館動物園前」駅跡はすぐ近くだが、電車の走る音や響きはない。

正式名称を「国立国会図書館国際子ども図書館」という。国立で子ども図書館というのもイメージ的には意外な気がする。国会図書館の分館は他に関西にあるが、子ども向けの図書館でしかも国立というのはここだけらしい。

現在は「子ども」と名乗っているが、そもそもは国立図書館、すなわち「帝国図書館」として建てられた。落成は1906年というから、100年以上上野の森に立ち続けていることになる。当時の威信をかけて建てられたのだろう、それは立派な石造の洋館で、豪壮というよりも優美な姿が目を惹きつける。途中関東大震災でも戦災でも崩れることはなく、この図書館は立ち続けた。

入口は近代化されているが、建物に入ると洋館特有の高い天井が迎えてくれる。白壁に濃茶色の木注や階段に華美はないが、昔の建物が持つ余裕がそこかしこに感じられ、図書館として存在が一層時間の歩みを遅らせるようだ。閲覧室は明るく現代的な雰囲気であるものの、基本的な構造は昔のままであり、雰囲気も相まって子供用とは言えど落ち着いて読むことができる。

歴史は下っても全国にまだあちこちに洋館は残っているが、日本という国はどういう訳か比較的簡単に古い建物をスクラップし、新しい建物に変えてきたことから、欧米のようには町並みという形で残っていることは殆どない。アジアでも、例えば中国では最近まで古い街並みがそこかしこに残っていた。清国時代のものはもちろん、何かと打倒の対象となる日帝時代の建物であっても普通に人々が住んでおり、上海や大連辺りでは2000年代初めまでは、普通の住宅地域として利用されていたくらいだ。
ここでいう町並みとは現役で生きる建物の連続として、という意味である。もちろんその時々の経済活動による需要により建物のサイズが合わなくなった、戦災、木造建築が多い、昔は火事が多かった、など色々理由はあると思うが、本質的に建物に対するこだわりは、他国に比べて低いように思う。それは、土地と家屋の価格にも表れていて、家は壊れることが前提であることから、資産としての土地への価格につながったと言われるくらいだ。

この図書館、非常に立派な建物であるが、驚くべきはこれでも当初予定の3分の1しか建てられていない、未完成の建築物であるということだ。資金不足で完成に至らなかったということだが、現在の建物は東側の一面のみ。今の規模でさえ、前に立つと圧倒されるくらだ。完成し、現在に残っていたら、日本でも有数の洋館建築となっていたことだろう。またそれが図書館として建てられていたという、文化と記録への注力。資金不足による中途半端というのが、文化への向き合い方として日本らしいといえば日本らしいが、それでも昔の人の意気込みは十分にその姿に感じることはできる。

なんでも昔が良かったという考えは持たないけれど、効率一辺倒の街では味気ない。上野の森にはふとした時に一息つける場所がまだまだ残っている。仕事帰り、御徒町から上野の山を越えて鶯谷や日暮里まで歩きたくなるのは、そんな雰囲気を日頃から感じたくて歩いているのかもしれないのである。

荘厳な図書館
高い天井に落ち着いた空間

かつての帝国図書館。その姿に目を奪われる

●40系統 担当:神明町車庫
神明町車庫前~団子坂下〜上野動物園前〜上野広小路〜須田町~日本橋~銀座四丁目〜銀座七丁目
谷根千から上野公園山の脇を通り、中央通りを銀座まで下る系統です。都電には珍しく系統の単独区間はなく、それぞれの系統を補完する役目も担っていたこと思います。