第七十九話
襷の正月〜25系統の風景

10代の頃までは地元で正月を過ごす時はいつも寝正月だった。とにかくやることがない。高校の頃、一度だけ年の変わり目に初詣もしてみようと、友人と大雄山まで足を延ばしたことがあるが、寒いのと眠いのとで二度とするものかと深夜の参拝はやめた。そもそもが初詣に行く習慣が当時の自分にはなく、本格的に行くようになったのは慣習に忠実な周りの人達と関わるようになってからだと思う。

母の実家が商売をやっていたから年末の書き入れ時は一家で手伝いに行っていたので、親族の挨拶に集まろうかという話もない。父が横須賀の実家に帰るのはお盆だけと決まっていたようで、しかも道中の横須賀線が鎌倉の八幡様に訪れる正月客で混んで仕方がないから、行くという発想が無いらしかった。畢竟、我が家の正月は家でダラダラするのが定番だった。

母は丁寧におせちを作る人だったから一日は正月料理。しかしそれを食べてしまうとやることが無いが、正月二日と三日はイベントがあった。

ご存知、箱根駅伝である。

だいたい箱根駅伝が今のようなお化けコンテンツになったのは、日テレがテレビ中継を行ってからではなかったか。それまではNHKがラジオ中継をしていたけれど、果たして全国の人達にとってはどれだけのコンテンツだったのかとも思う。箱根の国道1号を走って登ったり下ったりするのがどれだけ狂っているかなどは、歌にもあるような「箱根の山は天下の嶮」とかいう語で多少は知られているかもしれないけれど、訪れることがなければ外の人達にとってはわかるまい。恐らくその厳しさを知らしめたのは、箱根駅伝のテレビ中継があってこそだろう。

大学に行くまで東海道、しかも国道1号線の際を離れたことが無かったので、自分の好みだったかどうかに関わらず、文字通り生まれた翌年の正月から箱根駅伝を見せつけられてきた。伴走車がジープだったり、それこそ東京大学が出てたことをおぼろげながらになんとなく覚えているから、自分も歳を取ったと思う。別に自分の意思で見てたわけではないけれど、正月二日になれば神奈川の国道1号沿いに住んでいる人たちはみんな見に行った。いや、見に行かされた。もちろん好き好んでやっているわけではなく環境が単にそのようであっただけのことで、誇ることでも何でもない。母や祖父も東海道沿いの生まれ育ちで離れたことがない人達だから、三代に渡って生まれた時から見ていることになる。一体何の因果だろうか。
だから「箱根駅伝を見ないと正月が来ない」と湘南や西湘の人達が言うのはあながちオーバーな表現でもない。一年の始まりを知らせる時報のようなものである。

東京に出てきた翌年だったか、正月に街を出られない事情があって、初めて一区を見に行った。見るのが習慣だと行っても二日に自分の地域を過ぎるのは11時過ぎであり、起きると大体二区の後半か三区に入っていたから案外にスタート直後など見たことが無かったのだが、「せっかく東京にいるのだから」と日比谷まで見に行った。地元とは違って道も広く何となくライブ感に欠けたが、なるほどこれから地元を通って箱根まで行くのか、と何となく感慨深くなった。別に目の前の選手が100km走るわけではないのだけれど、襷がそのように思わせるのだと思う。日本人の駅伝好きを自分も刷り込まれているのだろうかと苦笑した。

今年は地元でいつもの通りに特に疑問もなく箱根駅伝を見に行った。さすがに立教大学を見たのは初めてだったが、古い学校が出ると何となく嬉しい。今回のメンバーに日大、東京農大、拓大、筑波、慶応あたりが出て来れば、古い人たちは乱舞するかもしれない。

東京大手町から繋いできた襷を綺麗な青空に映える箱根山と共に見ながら、何となく、でもやっぱり清々しい気持ちで新しい一年が始まった。

大手門から見る日比谷通り

大手門から見る日比谷通り

●25系統 担当:錦糸堀車庫
西荒川〜水神森〜江東橋〜須田町〜小川町〜大手町〜日比谷公園前
城東地区と都心を結ぶ基幹系統です。京葉道路をひた走り、隅田川を両国橋を渡って神田から皇居前に至ります。