第七十三話
十年間の展望台〜14系統の風景

東京に来て最初に働いた場所は西新宿だった。
今でこそ足は遠くなったが、丁度10年間そこで勤務していたのでそれなりに思うところはある。

わずか十年ほどとは言うものの、街の風景が変わることは感じられた。ただでさえ高層ビル街であるところに、更に高いビルがいくつか建てられる一方で、古い商店街が区画整理で消えていった。好きでランチに通っていた定食屋のいくつかもなくなり、外れと言えどここは天下の新宿だから、と思いながらも、もう少し何とかならないものかと感じることも多々あった。
そんな何となくの不満を抱えながらも、西新宿の中央に位置する新宿中央公園は格好の散歩道であり、都会のど真ん中で緑に囲まれながら仕事に一息つくには格好な場所である。少し西に行くと住宅街なので、そちらの方から子供連れが遊びにも来ており、母親と幼子達の声に業務の疲れを癒したのである。

新宿という街は他の繁華街と比べると何となく古臭い空気が流れているように思うが、東洋一の歓楽街を抱え、高層ビルの人工的なビジネス街が建ち並び、その脇には昔ながらの置き去りにされたような住宅街が半ば取り残される何でもありの風景は、色々としんどい記憶を自分自身に押し込みながらも決して街自体に不愉快に感じるものではなく、東京の中で自分の存在感を確認する場所。そのような感覚が漂う街と思っている。

先日、友人に連れられて都庁の展望台に登った。コロナ禍で閉めていたところ、つい先頃に営業を再開したとのことだった。都庁自体は近所で働いていた際にその食堂にたまに行ったくらいでそれ以外に訪れる用はなかったが、勿論展望台の存在は知っていた。ただあまり高いところが自身は得意でないので自ら進んで登ることがなく、今まで訪れることはなかった。今回誘われたのを幸いとし、興味を持って登ることになった。

真東と北側は目の前に建つ高層ビルが邪魔をしていて景色は開けなかったが、新宿御苑から向こうの風景、東京スカイツリー、大手町方向、六本木から港南方面、渋谷から横浜や三浦半島方向、そして勿論西側は多摩の方に向かってどこまでも街が続く、想定通りの展望だった。午後の西日が反射していて方角によっては遠くまで見渡すことはできなかったけれど、それでもその高さが持ってくる景色は十分なように思えた。展望台の中にはグランドビアノが置いてあって自由に弾けるようになっており、立ち替わりに何人かの人が腕を披露していて、その音色を聞きながらの景色鑑賞となった。

西側の展望で真下を見下ろすと、そこには新宿中央公園が広がっていた。なるほど、自分はあそこのベンチによく座ってぼーっとしていたものだ、あそこの筋はよく歩いたなあ、などと、記憶が蘇ってきた。十二社池の下にあるココイチやマクドナルドにはよく世話になったっけ。

このエリアで働いた十年間、大変なことも多くそれほど楽しいとは感じなかった筈だが、どうしてこうもこの見飽きた風景を何となくでも見てしまうのか?
見続けたところで単なるごく普通の街が広がっているだけである。今更乍らに面白いものなど何もない。

それとも。

この街を無意識の内に東京の拠り所 – 自分自身の原点とでも感じているのだろうか。

まるで自分の十年間を見下ろしているようだ。

結局せっかくの展望を楽しむよりも、西新宿界隈を見下ろしている時間の方のが長かったのである。

青空と明治神宮の緑

青空と明治神宮の緑

●14系統 担当:杉並車庫
新宿駅前~中野坂上〜鍋屋横丁〜杉並車庫前〜阿佐ヶ谷~荻窪駅前
新宿から青梅街道を西に進む系統です。現在はその地下に地下鉄丸の内線が走ります。そもそもの路線開設は西武鉄道によるものでしたが、先の大戦後に東京都に買収され、公営軌道の一員となりました。
昭和37年に開業した丸の内線と競合してしまったこともあってその廃止は早く、昭和38年に早々と消えました。