第六十話
粋のカクテル〜22系統の風景

疫役が猛威を振るう平日の夜、浅草の街頭にはほとんど人が歩いていなかった。時刻は19時前で東京の繁華街が閉じるのには早い時間だけれども、このようなご時世か、それとも二年近くに渡る鎖国の為か、溢れんばかりの人で賑わっていたのが嘘のようなくらいに閑散としている。それでも週末や休日の昼間には人が戻っているとのニュースが流れているが、以前の賑わいと比べれば比較をするにはまだ遠い。かつてが人で溢れ過ぎていたといえばそれまでだが、浅草雷門でポーズを取る人が多くないのは、近寄るのが嫌な光景だった頃の姿から比べると寂しい。

地下鉄銀座線の浅草駅を上る人たちの多くは東武電車の浅草駅の方へ向かった。通勤時間帯の帰宅時間、クラシカルな建物に吸い込まれていく人たちの足取りは速い。それでもラッシュというのには程遠いが、多くない波に乗る郊外へ向かう人達は、途中の繁華街で一息つこうという雰囲気さえも持つことは難しいのだろう。皆黙々とターミナルに上る階段を登っていった。

所用を済ませ、どのように家に向かうかひとしきり考えた。都バスで池袋にダイレクトで向かってしまうのが乗り換え的には少ないが、片道50分をのんびりと行くのには夕食時間帯の時間の使い方としては勿体無いように思えた。かといって上野に戻って山手線に向かうのも日々の繰り返しのようでつまらない。せっかく浅草まで出てきたのだから、ここで夕飯ととることにした。

さて何を食べようか。浅草に来ると何故か天丼が食べたくなるが、自分にとって丼物は昼だろうか。モンブランのハンバーグも捨てがたいけど、夜にガッツリは気が引ける。チェーンはつまらない。少し腹が満たされれば良いのだ。
ひとしきり考え、神谷バーに入ることにした。何か一、二品と電気ブランで夕食と済ませることにする。

雑然とする昼間と違い、店内は閑散としていた。2階に上ると少しゆったり目に食事を取ることができるが、一口飲んで外に出るのだ。一階に席を選んだ。一応入ってすぐのウィンドウを眺めるが、大体オーダーが決まっていた。レジでメンチカツと電気ブランのノーマルの食券を買って席についた。ハンバーグを回避したのにメンチカツを注文する自分を少し笑った。よく考えたら料理はこれかジャーマンポテトかカニクリームコロッケしか注文したことが無いような気がした。もちろん酒は電気ブランだけだ。

この店の代名詞である電気ブランは、100年以上も出され続けている、今更に蘊蓄を記すまでもない酒だ。少し薬草がかった風味の独特の味は、お店も一人に3杯以上は出さないという強いカクテルで、ヘベレケに量を飲むような類でもない。ちょっと店に入って良い気分になってすぐに出るのにはぴったりとした酒というのがぴったりの説明だろう。「現在版」と「オールド」の二種類があって、現在版は30度、オールドなら40度。元々は電気ブランとビールを交互に注文する – 電気ブラン2杯+ビール2杯が通の飲み方だったらしいが、少し酔いたいだけならこのような度数でそんなチャンポンなどできるはずもない。

カクテルという言葉が一斉を風靡した時代は確かにあったと思うが、今の時代には何となく古臭い。かつては飲み会でのオーダではモスコミュールとかカシスソーダがよく上がっていたと思うが、今はビールを除けば酎ハイだ。「オヤジ化」という語が正しいかはわからないけれど、昨今の立ち飲み屋やオープン酒場が盛況だったことを思うと、選ばれるお酒が変わってきたのは間違いないと思う。加えて東京では地酒と言ってもよいホッピーも合わせれば、バーを除けばカクテルの肩身は狭くなった。カクテルはその風俗の中で一つの時代を過ぎてしまったのかもしれぬ。

そんな時代ハズレも、長いこと供されていれば、古臭さを通り越してその世界を体現するものとなる。

店自体はすぐに出る雰囲気を醸し出してはいないが、長居は無用と思わせるのはこのカクテルのお陰かもしれない。カクテルと料理の組み合わせは異質だが、広く思われる洒落系のカクテルとは違うもので値段と量と度数と値段も手伝って、ビールと同じ類と考える方が正しい。印象的にはウイスキーやブランデーと同種だが、じっくり時間を過ごす酒でもない。言ってみれば、すぐに酔えて安いという浅草が体現する庶民の酒なのである。

古い東京を体現する「粋」か「人情」と言う言葉が現代に生きているか、は、京都で「はんなり」的なイメージを体現できるかどうかと同じくらいに難しいことではないだろうか。恐らく私を含めて外から人が集まり過ぎたことにより、文化、風俗、習慣を見出すことは普段の生活の中では難しい。そんな東京にあってここ浅草は、逆に東京の街でも異質な場所であるとも思う。ホッピー横丁で飲むか神谷バーで飲むか、同じ浅草でも不思議と酔客は一致しないように見えるが、いずれでグビっとやるにしろ、飲んでいて周りの人が話しかけてくる場所は東京でもこの街の酒場くらいしか無いような気もする。これを居心地の良いと思うかどうかは、現代に至っては意見が分かれそうだが、かと言って話に盛り上がっていた瞬間に「帰る」と一言言い出して消えるのもこの店なので、その酒に後腐れはない。

恐らく「向こう三軒、両隣」が今に生きる店なのだ。見知らぬ者同士で声を掛け合う一方、やたらにプライバシーまで踏み込まず、スッと身を引くのは、江戸の狭い長屋生活の延長だとも思う。

粋と言う言葉を「人間関係にて絶妙な距離感で接する立ち振る舞い」と解する、そんな世界を立ち回るのならば、この神谷バーの電気ブランはとても相応しいカクテルだ。何故ならこの店自体が粋の世界の象徴とも言える空間であるからである。

この夜は人気の無い世界ではあったが、雰囲気に酔う酒というものもある。2杯ほどで良い気分になり、寒空に心は程よく温まって店を出、銀座線のホームに向かって階段を降りた。

「伝統」の神谷バーと「現代」の東京スカイツリーが交差する東武浅草駅前交差点

「伝統」と「現代」が交差する東武浅草駅前交差点

●22系統 担当:南千住車庫
南千住~東武浅草駅前〜浅草橋〜室町三丁目〜日本橋~銀座四丁目~新橋
浅草と日本橋、銀座を結ぶ系統です。上野と銀座を結ぶ1系統と共に所謂古くからの東京の繁華街を走ります。「東京を縫って走る」とはこの系統のためにある言葉でしょう。
区間は短縮されましたが、今でも東京駅と南千住をほぼ同じに走る都バスの路線があります。地下鉄に乗ってしまうのは勿体無い。乗車して楽しみたい路線です。

投稿者:

Mr.Problem

しがない制作屋です。 活動範囲:Web Producer / Director / html全般 / CSS全般 / WordPress / ガンダム / ドラクエなど..。企業内のWeb担当として活動。神奈川の海沿い生まれ。京都、大阪、神戸と流れて、今は東京在住です。