第五十八話
初詣の神猿〜3系統の風景

東京での初詣、近所の神社でお参りを済ませて次に向かうのは神田明神で、そちらでも一年宜しくお願いしますと頭を下げる。
昨年四歳の身内が、おみくじであろうことか「第一番 大吉 恵比寿様」を引いてしまった。本人は訳もわからずはしゃいでいるが、こちらとしてはこれから先、これ以上の吉は出ないと頭を抱えた。長年生きている私でもこれだけの福を出すことは無く、この子にこの先これ以上の吉は出るのだろうかと不安にもなる。信心深くは無いけれど縁起は担ぎたい。確率では間違いなく昨年よりも悪い相が出るため、本人が自分の意思で行くのならともかく親の意思で運試しをさせるのは忍びない。この年で江戸総鎮守に足が遠のくのは不憫だが、今年は流石にやめておこうという話になった。

神田明神と双璧を成す神社は、赤坂の日枝神社だ。江戸幕府が開かれて後、江戸城の鎮守としてその地位を定められた、国家的にも大きな立場を築くことになった神社。現在地に置かれたのは17世紀の明暦の大火を経て後で、将軍家、大名家は勿論一般町人が参詣できる神社として、江戸から現代に世の中が変わっても、人々を集めている。神田明神や以前書いた白山神社と同様に東京十社に連なり、「山王神社」の俗称と共に地域の神社としても栄えているが、なんというか、神社に格や血統があるとすれば、東京の中でも頭ひとつ抜き出た神社といえよう。

神田明神が何となく遠のいたので、東京での生活安全を祈るため、日枝神社に足を向けた。境内は仕事始めの会社員(というよりも会社重役レベルか)の参詣で行列を作っていた。

日枝神社の祭神の「一つ」は「猿」。この神社は狛犬がおらず、猿が本殿の両脇を固めている。本殿に向かって右側が男猿で烏帽子を被り、左側は子供を抱えた女猿。犬と猿は両立しないから犬が居ないのはわかるが、何とも不思議な光景だ。神社は庚申信仰と結びつくことに多いが、言われを読む限りはそれらの系統では無いらしい。

日枝神社の神様は大山という神様で元は比叡山に由来するらしい。比叡山といえば天台宗だが、元来が自然信仰の日本では、あの種の目立つ山に神様がいても不思議ではない。比叡山の神様は山の神。猿は山の使者ということで、江戸に連れて来られて神様の前で睨みを効かせているらしい。

一方で江戸の民間信仰では「大山詣」(相模国の霊峰への参詣信仰)があったので、そちらとつながることの方が自然のような気もしたが、その謂れは無いようだ。もしつながっていれば、小学生の頃に遠足で登らされた身としては併せてのご利益もあるようにも思えるのに。

大山は地元からよく見える山だ。日帰りで行って帰るのには丁度良い存在だったのだろうか。遠足で何度か訪れた。「苦労しなくちゃご利益は無い」と言う戦中派先生のご指導で、ケーブルカーがあるのにわざわざ徒歩で登った。その時の苦労が身に染みたのだろうか。昨年登るまで再訪には数十年を要した。

息子は申年なので、言ってみれば猿がらみでもご利益はあるだろうと、生まれてまもなく連れてきた。もっとも、我が家は子守りとしては東京最強の雑司ヶ谷鬼子母神のご利益を受けて生活しているが、猿の神様にも見守られていれば困ることは無いだろうと頭を垂れさせた。

繰り返すが、私は信心深い人間では無いけれど、節目は一応大事にしたい。またそのような習慣を後代に伝えることだけはしなくてはいけないとも思う。その価値をどの程度大事にするかは本人次第だが、自分が何となくやってきたことを意識して見せていこうかとお猿の顔を見ながら思う、そんな初詣だった。

鎮座する御猿の遣い

鎮座する御猿の遣い

●3系統 担当:三田車庫
品川駅前~札ノ辻〜赤羽橋〜虎ノ門〜溜池~赤坂見附~四谷見附〜市ヶ谷見附〜飯田橋
明治の時代から走る外濠線がその起源となる路線です。高輪から東京タワー、オフィス街を通って水をたたえる外堀沿いへ出てきます。赤坂見附近辺は今は高速道路が道をふさいでしまっていますが、往時、当系統から見る弁慶堀などの景色は美しかったことだろうと思います。

投稿者:

Mr.Problem

しがない制作屋です。 活動範囲:Web Producer / Director / html全般 / CSS全般 / WordPress / ガンダム / ドラクエなど..。企業内のWeb担当として活動。神奈川の海沿い生まれ。京都、大阪、神戸と流れて、今は東京在住です。