第六話
隅田川の玄関~23系統の風景

隅田川に架かる橋は26あり、その内最も北が新神谷橋。そこから一旦東へ、水神大橋の手前から南に進路を変えて下町を縦断し、佃島の手前で2本に分かれたあと、東京湾に通じる。古くは大川と言い江戸~東京を代表する川と称されるのは、今更記すまでも無いだろう。

隅田川の最も南に架かる橋が勝鬨橋。昭和15年に完成したこの橋は、船が通れるように橋の中央が跳ね橋として建設された堂々とした橋で、北は佃大橋、中央大橋、永代橋を望むことができ、南は築地市場の向こうに東京タワーが大きく見える。晴海通りの交通量の増大や物資流通の変化に伴い、昭和42年に船の通行を目的とする開閉を停止、昭和45年11月を以て橋の開閉は無くなった。

勝鬨橋の名前の由来は築地側のたもとに石碑として立っている。曰く日露戦争での旅順陥落を祝い、丁度この地に対岸の月島との間に引かれた渡船に「勝鬨の渡し」と名付けたことが由来らしい。次いで橋が開通するに当たり、渡しの名前を継承して「勝鬨橋」と名付けたとのことだ。

ビルに圧迫されそうな東京都心から隅田川に出た時に感じる開放感はとても気持ちの良いもの。それは上流の橋でも同じような感覚になるのだけれど、東京のみならず日本を代表する交差点である銀座四丁目を過ぎて晴海通りを走ってきたその先にある勝鬨橋だからこそ、一層その意を強く持つのかもしれない。この辺りは通りも広く抜けるような空。大阪であれば梅田界隈から北に向かい、十三大橋で淀川を渡る時に感じる感覚に似ているが、淀川は大阪の中心部と北の住宅街を明確に分けるモニュメント的な川だけども、隅田川は都市の一部として一息つける感じで、本質的な感覚は違うような気もする。
鉄骨アーチの橋は他にも永代橋や厩橋などでも見る事ができるけれど、この勝鬨橋はその武骨なデザインに跳ね橋が加わることで、橋としての機能と共に隅田川の玄関=古くからある東京への入り口を感じられるような気もするのだ。

東京の橋と問えば今はレインボーブリッジとなるのだろうけれど、自分としては隅田川の橋の内側に東京を見てみたい。現代日本に於いて勝鬨橋を始めとする見事なまでの歴史ある建築の橋が並ぶ川は、東京が外に持てる誇りの一つだろう。

戦災以降、あらゆる再開発が進められてきたこの都市に於いて、派手に表に出ることのなく地味にしっかりと息づく歴史を見る時、改めてこの都市をもっと深く知りたいと思う。

両さんの話の中で「下町人情編」の一つでこの勝鬨橋が取り上げられたことがある。昭和45年に橋の開閉を終了した後、友人の為に一度だけ橋を勝手に開けた話。凄まじい程のパワーを毎回発揮するこち亀シリーズの中で、千住の火力発電所を描いた「おばけ煙突が消えた日」の話と並んで大好きな話の一つ。

晴天の勝鬨橋と水上バス

晴天の勝鬨橋と水上バス

●23系統 担当:柳島車庫
福神橋~本所吾妻橋~本所一丁目~東両国緑町~森下町~門前仲町~新佃島~月島
この区間は今でも古い住宅街をそこかしこに見る事が出来ます。勝鬨橋を渡る路線は別にあるのですがそちらは別に譲り、隅田川を意識して文を書きたかったため、敢えて川に沿って走るこの系統を選びました。

Originally, written on May 01, 2010